「日本には12人のドン・ジマーがいる」。かつてこう吐き捨てた外国人選手がいた。日本の監督は選手の起用法が一定しない、と暗に言いたかったのだ。
 ドン・ジマーといえば思い出されるのがヤンキース・ベンチコーチ時代の武勇伝。2003年のア・リーグのチャンピオンシップでレッドソックスのペドロ・マルティネスに突っかかっていき、逆に投げ飛ばされてしまった。この時、ジマー72歳。口癖は「ファイアー・アップ(燃えろ)」。短気だが、どこかユーモラスで憎めない人だった。

 66年には東映でプレーしたこともある。帰国後、パドレス、レッドソックス、レンジャーズ、カブスの監督を歴任。89年にはカブスを地区優勝に導き、ナ・リーグ最優秀監督になった。闘争心あふれる采配ぶりは多くのファンの支持を得たが、その一方で「選手を取っかえ引っかえしすぎ」との批判も受けた。
 日本でジマーのような野球を展開したのが千葉ロッテ前監督のボビー・バレンタインである。猫の目のようにコロコロと打順を入れ替え、チームの活性化を図った。こうした目先を変えるやり方は短期的には効果が出ても長続きはしない。チームがジリ貧になっていった原因は、その辺りにあったのではないか。

 連日の逆転勝ちでCSファーストステージを突破、ロッテの再建に成功しつつある西村徳文が監督就任に際し、最もこだわったのが打順の固定化だった。それは次のような理由に依る。
「(バレンタイン政権下、選手の中で)不満が多かったのは日替わりオーダー。昨日は1番なのに、今日は9番を打たされるとか。打順によってバッティングの中身も変わってくる。この点は改めたかった」
 シーズンを通じて西岡剛を1番、井口資仁を3番に固定した。開幕4番の金泰均、5番の大松尚逸は下位に下げたが、それでも辛抱強く使い続けた。

 振り返って考えてみても強いチームは打順が固定されている。トップから順に高倉照幸、豊田泰光、中西太、大下弘、関口清治……と続く野武士軍団の西鉄、柴田勲(高田繁)、土井正三、王貞治、長嶋茂雄、末次民夫……のV9巨人、辻発彦、平野謙、秋山幸二、清原和博、デストラーデ……の黄金期西武。強者としてのサステナビリティ(持続可能性)をいかに担保すべきか。西村ロッテは改革の緒についたばかりである。

<この原稿は10年10月13付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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