一冬越すと、いきなり球速が15キロも速くなっていた。ウソのようなホントの話だ。
 近鉄に西川慎一というサウスポーのリリーバーがいた(その後、阪神−広島)。97年には51試合、98年には61試合に登板している。150キロ台のストレートとマッスラのコンビネーションで打者を手玉にとった。
 この西川、大洲農高という愛媛の無名校から社会人野球のNTT四国に進んだ。6年間、一度も公式戦出場なし。挙句、ヒジを痛め、25歳の夏に遊離軟骨の除去手術を受けた。
 だが、人間、何が幸いするかわからない。ネズミを除去したことでヒジの可動域が広くなった。それにより、ヒジが前に出てくるようになった。一冬が過ぎ、本格的にピッチングを再開するとブルペンキャッチャーが驚いたような声を上げた。「こんなボール、受けたことがない」。

 球速147キロ。これまでの自己記録は132キロ。150キロ近いスピードボールを投げるサウスポーをプロのスカウトが放っておくわけがない。94年、西川はドラフト2位で近鉄に入団。球速はプロに入って153キロにまで伸びた。
 振り返って本人は語る。「社会人に入って6年間、全く活躍できなかった。そして手術。この間、徹底的に走り込んだ。下半身を鍛え込んだことが球速アップにつながったのでしょう」

 マエケンこと広島のエース前田健太が沢村賞に輝いた。今では“ハンカチ世代”の出世頭だ。
 このマエケン、プロに入った頃の平均球速は140キロそこそこだった。本格派というよりは技巧派のイメージに近かった。それが今ではMAX152キロのスピードボールを武器にする。
 4月8日、神宮球場でのヤクルト戦で150キロ超えのコツをつかんだ。「打者は田中浩康さん。2−2からストライクを取ろうと“抜き加減”で投げた。リリースの瞬間のみに100の力を集めた。すると驚くほど低目にボールが伸びた。“こういう投げ方をすればボールが行くんだな”と」。

 球界には「スピードは天性のもの」としたり顔で口にする者がいるが、どうもそれだけではないようだ。たゆまざる工夫と日々のトレーニング、これにほんの少しの偶然が加われば、人は新境地を開拓できるのである。あのノーラン・ライアンも、「高校2年までのスピードは大したことがなかった」と自著で述べている。

<この原稿は10年11月3日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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