シーズン&プレーオフを併せて6度のノーヒッター(うち2つは完全試合)が生まれるなど、投手絡みの快記録が続出した2010年のMLB。「The year of pitcher(投手の年)」と呼ばれた1年の締めくくりに相応しく、結果的に今季最終戦となったワールドシリーズ第5戦も息詰まる投手戦となった
 この日のマウンドに立ったのはティム・リンスカムとクリフ・リー。ともにサイヤング賞受賞歴を持つ両エースの前に、6回までレンジャーズ、ジャイアンツの打線はそろって沈黙。「1点が勝負を分ける」という予感の中で、ひりひりするような緊張感に包まれたままゲームは続いていった。
(リンスカム(写真)とクリフ・リーの投げ合いは全米のファンを釘付けにした Photo By Kotaro Ohashi)
 そしてこの試合は最終的に、3−1でジャイアンツが勝利を飾ることになる。
 大黒柱のリーを立てて負けたのであれば、本来ならレンジャーズにとっても悔いのない敗戦のはず。だが振り返ってみれば、勝負を分けたのはたった1球のミステイクだった。しかもその1球が、本来なら勝負する必要のない危険な打者に投げられたのだとすれば、関わった選手たちの心中に少なからず悔恨は残るのではないだろうか。

 最大のポイントとなったのは、7回表2死2、3塁でリーが打席にエドガー・レンテリアを迎えた場面である。
 35歳で引退間近と囁かれたレンテリアだが、このシリーズは絶好調。第2戦では決勝本塁打を含む3打点を挙げ、第4戦でも3安打。1997年、マーリンズ時代のワールドシリーズ第7戦で決勝打を放った実績も特筆され、無名選手ばかりのジャイアンツ打線の中でも特に危険な打者と見なされるようになっていた。

 レンテリアの後を打つのは、同じくベテランのアーロン・ロワンド。ロワンドは今季途中にレギュラーから外され、過去45日間では12打席に立ったのみ。スイングスピードも鈍り、少なくともこの時点ではレンテリアよりはるかに与し易い打者にも思えた。

 しかしこの修羅場で、リーはレンテリアとの勝負を選択する。
 まず初球はカットファーストボールが外れ、2球目のチェンジアップでもストライクを取れなかった。カウントは0ストライク2ボール。続く3球目、再びストライクを取りにいったリーのカッターが、真ん中高めの絶好球となった。

 振り返ってみれば、ジャイアンツの王座到達を決定づけた1球。これをレンテリアが見逃さずに捉えると、打球は左中間のフェンスをわずかに越える3点本塁打となった。
「1点勝負」と思われたゲームに3点が入った。これでこのゲームは、いや2010年のワールドシリーズは、事実上終わった。
(写真:レンテリアの本塁打で3点を挙げたジャイアンツは56年振りの王座に到達)

「レンテリアは歩かせるつもりだった。そしてロワンドと勝負しようと思っていた。ロワンドはここしばらくプレーしていなかったからね」
 試合後、レンジャーズのベンジー・モリーナ捕手はそう振り返っている。現時点では何を言っても結果論になるが、実に常識的な判断に思える。

 ホームランが飛び出す前から、筆者の周囲で試合を観ていた記者たちはレンテリアとの勝負には否定的だった。筆者自身は実績あるリーの選択に任せるべきと感じたが、それでもカウント0−2となった時点では、もう明確に敬遠の判断をするべきだと思った。そして何より、バッテリー間の意思統一が完全になされていなかったことが恐らく最大の敗因なのだろう。
(写真:ロン・ワシントン監督もリーに敬遠の指示は出さなかった)

 ただ……リーが後に残したこんなコメントを訊くと、敬遠を嫌った判断を単純には否定できないように感じたのも事実である。
「一塁ベースが空いていたのだから、もっと注意深く投げるべきだったのだろう。ただ、僕はこうやってここまでやってきたんだ。誰も歩かせたくなんかないからね……」

 確かにその言葉通り、リーは精密コントロールを最大の武器にメジャー屈指の投手との評価を勝ち得てきた。今季は212回と3分の1を投げて185奪三振を記録した一方で、与四球は18だけ(敬遠は2のみ)。奪三振/四球率はメジャーダントツの10.28/1。今プレーオフ中にも、「いつか四球を1つも出さないシーズンを経験してみたい」というコメントすらあった。「四球を1つも出さない」ことは、リーにとって最も重要なプライドなのだ。

 それほど制球にこだわりのある投手に、それでもあなたは敬遠するべきだったと言えるだろうか? 周囲が敬遠四球を命じた後に、リーはすぐに気持ちを切り替えて後続打者に対峙できただろうか?
 チームの看板であるエースの意思を尊重したい筆者は、どちらの問いにも「ノー」と答える。しかし、その意見を押し付けるつもりはない。

 もしもレンテリアを歩かせていたら、あのイニングを無得点で切り抜けていた可能性は確かに高かったようにも思える。その裏にネルソン・クルーズがリンスカムから放った一発が決勝点になって、レンジャーズは1勝3敗からの奇跡の逆転に向けて走り出していたかもしれない。
(写真:レンジャーズファンの願いも届かずシリーズはテキサスの地で終わった)

 仮定の話の答えは、もちろん誰にも分からない。
 ともあれ、投じる必要がなかった1球が勝負を分けて、2010年のワールドシリーズは終わった。繰り返すがそれは、「the year of pitcher」の最後を飾るに相応しい正真正銘の名勝負であった。


杉浦大介(すぎうら だいすけ)プロフィール
1975年生、東京都出身。大学卒業と同時に渡米し、フリーライターに。体当たりの取材と「優しくわかりやすい文章」がモットー。現在はニューヨーク在住で、MLB、NBA、ボクシング等を題材に執筆活動中。

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