ゲームにたとえていえば敗戦処理が勝利投手になったようなものか。
 監督代行就任時には19もあった借金を完済し、4つの貯金を積み上げたのだから、シーズン終了を待って「代行」の2文字が取れたのも当然である。

 いうまでもなく東京ヤクルトの小川淳司監督のことだ。
 監督代行としての勝率6割2分1厘は、中日・落合博満監督の5割6分をもしのぐ。
「優勝に匹敵する成績。選手の力を更に引き出し、結果に感謝している」
 堀澄也オーナーは最大限の賛辞をおくった。
 
 2軍監督を9年も務めた苦労人を表舞台に引き上げたのは前監督の高田繁である。この5月、成績不振の責任をとって自ら休養を申し出た。事実上の辞任である。それまでは、やることなすこと全てが裏目に出ていた。投手陣が踏ん張れば、打線が沈黙する。打線が火を噴けば、今度は投手陣が崩れる。その繰り返しだった。

「この悪い流れを断ち切るには、自分が身を退くしかない」
 高田の判断は吉と出た。指揮官が代わってから徐々に投打の歯車ががっちりと噛み合う様になった。
 エースの石川雅規の成績がそれを如実に物語っている。高田体制時と後の数字は次のとおり。
 0勝6敗 防御率4.03
 13勝2敗 防御率3.29
 投球内容に、変化があったとは思えない。それが、この変わり様だ。指揮官が交代したことで流れが変わったとしか言いようがない。

 メジャーリーグでは監督のシーズン途中での交代劇は珍しいことではないが、日本では非常事態でしか起きない。
 何もやらないでズルズル後退するくらいなら捨て身のカードを切ったほうがいいのではないか。座して死を待つのが一番良くない。
 その意味で、今回の高田のけじめの付け方はプロ野球の将来に、ひとつの方向性を示したものだと評価できる。

<この原稿は2010年11月15日号『週刊大衆』に掲載されたものです>

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