今季、森脇浩司は中途半端な立場に置かれていた。福岡ソフトバンク編成・育成部アドバイザー。コーチではない。かといって実権を持ったフロントスタッフでもない。
 昨季は監督に昇格した秋山幸二の下でヘッド兼内野守備走塁コーチの要職にあったが、オリックスの監督を解任された大石大二郎にその座を追われてしまった。先の仕事は、言葉は悪いが“閑職”であり、本人も望んだものではなかっただろう。

 現役時代(近鉄−広島−南海・ダイエー)は守備の名手として鳴らした。内野ならどこでも守った。
 通算打率2割2分3厘ながら18年間も現役を張ることができたのは、その器用さを買われたからだ。
 引退後はホークスで内野守備走塁コーチ、2軍監督などを務めた。丁寧な指導ぶりで選手たちからの信頼も厚かった。また彼はノックの名人としても知られている。
 今季限りで育成・編成部アドバイザーを退任した森脇に真っ先に声をかけたのが巨人だった。
 フリーになった時点で森脇は私にこう言った。
「スポーツ紙には阪神入り、広島入りといった記事が出ていますが、具体的な話はまだありません。僕としては最初に声をかけていただいた球団にお世話になるつもりです」

 巨人が森脇に用意したポストは2軍内野守備走塁コーチ。4年前、天下の王貞治が胃ガンの手術を受けた際にはソフトバンクの監督代行として指揮を執った。そんな男に対して、ちょっとこのポストは「軽量なのでは……」との声もあったが、実は森脇が望んだものだった。
「僕も50歳。あと何年か経ったら若い選手と向き合えなくなる。体が動くうちに僕の持っているノウハウを伝えたいと思っていました」
 マスクは甘いが、指導法は骨太である。巨人に入団が決まる前、森脇はこうも語った。
「一生懸命やったから仕方がない。負けようと思って負けているわけじゃない。僕に言わせれば、そんなことを言う選手は財布を持たずに買い物をするようなもの。プロとしての基本がなっていない。
 結果が良ければ人一倍、いい思いができる。そのかわり、悪かったらマスコミやファンに叩かれる。プロとして、それは当たり前。強いチームと弱いチームを比較した場合、同じ一生懸命でもその度合いが違う。僕ならまず、そこから指導します」

 巨人の2軍には大田泰示を筆頭に、中井大介、藤村大介ら鍛え甲斐のあるダイヤモンドの原石がゴロゴロいる。選手層が厚いチームだけに熾烈な1軍のレギュラー争いに割って入るのは容易ではないが、下からの突き上げがなければ、チームは活性化されない。監督の原辰徳もそれを望んでいるのだろう。
 50歳にして初の東京住まい。名ノッカーに課された使命は重い。

<この原稿は2010年12月12日号『サンデー毎日』に掲載されたものです>

◎バックナンバーはこちらから