西村の成功はバレンタインの下で働きながら、見習うべき点、改めるべき点をきちんと仕分けしていたことに依る。
「コーチ時代に“べからず集”をつくったことがある」
 かつて、こう語ったのは1998年、横浜で38年ぶりの日本一を達成した権藤博だ。
 権藤は横浜で監督になる前、中日、近鉄、ダイエー、横浜と、4球団でコーチを務めた。都合、8人の監督の下で働いた。
「これを言ったら選手はやる気をなくす、コーチは働く意欲を失う。それをノートに書き留めていた。監督になってから随分、役立ちましたね」

 西村のマネジメントにも相通ずるところがある。シーズンを通じて、西村がコーチに対し、必要以上に注文を出すことはなかった。
「僕があまりに口を出すとやりにくいでしょうから」
 西村はサラリと言った。

 ヘッドコーチ時代、バレンタインは西村の進言をあまり聞き入れなかった。ボスの指示は絶対で、コーチは手足に過ぎないという考え方だった。
 その時に味わったフラストレーションを、自分のコーチたちに経験させてはいけない――。西村は常に自らにそう言い聞かせていた。

 そこで今回の結論。上司といえども人間。いい点もあれば、悪い点もある。幸運なことに、部下はそれを観察できる立場にある。この絶好のポジションを生かさない手はない。

<この原稿は「ビッグトゥモロー」2011年1月号に掲載されました>
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