2004年に移籍を決めた時、松井はルマンが二部だということが気にならなかったのだろうか。欧州の二部に移籍することを、拍子抜けのように書いていた報道もあった。
「最初は、ああ二部かぁ、どうしょうかなぁみたいな感じでしたよ。でも考えてみたら京都も二部だし。ぼくにとっては行ってみる価値はあるかもしれないという風に感じて。(二部だからこそ)なんかチャンスが回ってくるかもしれないし」
 松井の所属していたパープルサンガは03年にJ2に降格していた。二部に移籍することも、笑いにして片付けるところが、関西人らしかった。

 フランスリーグについては、アテネ五輪中に代理人から渡されたルマンのDVDを見た程度しか知識がなかったという。
「海外に行きたいというのは……。ぼくの場合は、元々将来の夢が海外に住むことだったんです。海外でプレーするのではなくてね。でも、サッカーをしているとだんだん、外でやりたくはなってきましたよ」
 ぼくは、広山望の取材のため、たびたびフランスを訪れていること。フランスのサッカーは日本ではそれほど知られていなかったが、かなりレベルが高く、攻撃的で気に入っていることを話した。
「ぼく、その本読みましたよ。フランス行くんだから、ヒントがあるんじゃないって言われて。で、なんかフランスのクラブは、ポルトガルのクラブよりもみんな喋ってくれるし、溶け込みやすいって書いてあったから、あ、そうなんだって思って。じゃ、ぼくも大丈夫かなと。最初はポルトガルリーグに行きたいと思っていたんですよ」
 自分の書いた『此処ではない何処かへ』が目の前の男の背中を少しでも押したと聞かされて嬉しくなった。

 広山は、ポルトガルのスポルティング・ブラガからフランスのモンペリエに移籍していた。ブラガは閉鎖的な空気があった。練習以外では、スペイン人やアルゼンチン人という“外国人選手”と広山は良くお茶を飲みに出かけていた。彼らはチーム所有のマンションに住んでおり、近所だということもあったろう。それ以上に、隣国のスペイン人は、ポルトガル人の付き合いの悪さをぼやいていた。
「あいつらはポルトガル人同士しか付き合わないんだよ」
 モンペリエのあるフランス南部は、人は穏やかで親切だった。キャプテンのキャロッティがスペインのマジョルカ島生まれでスペイン語を話せたため、広山とコミュニケーションがとれた。広山はパラグアイでスペイン語を覚えていた。
 カロッティと広山が食事に行くとき、ぼくも同席したことがある。カロッティは広山がチームに溶け込めるように、気を遣ってくれているのが分かった。キャプテンというのはこういう気遣いのできる選手が任させるのだと思った。
 ポルトガルのブラガでは、街を歩くほとんどの人が白人だった。モンペリエは違った。フランスは、植民地を多数抱えていたこともあり、アジア人も少なくない。アフリカ、南米からも人が来ており、広場を歩いていても、浮かなかった。ポルトガルよりもフランスの方が溶け込み易いというのはぼくの感想でもあった。
(写真:『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』は、パラグアイ、ブラジル、ポルトガル、フランスとぼくが広山選手を追いかけて書いた本だ)

 松井がルマンに着いた当初、仲良くなったのは、アルゼンチン人だった。
「すぐに友だちになりましたね。すごくいい奴で、こっちが分からなくてもずっと喋っていて。家に呼んでくれたりとかして」
 フランス語も話せる彼が、チームメイトと繋いでくれた。
 ところが、欧州のクラブは選手の入れ替わりが激しい。このアルゼンチン人選手はすぐにチームから去った。
「12月の移籍シーズンになったら、スペインに行っちゃったんですよ。奥さんがスペイン語しか喋れないから、俺はスペインに行くよって」
 松井はクラブが雇ってくれた教師についてフランス語を習っていた。1年もいるので、フランス語は話せるようになったでしょと話を向けると、下を向いて首を振った。
「全然無理ですね。まず冠詞が何って言われても全然分からないしし、単語覚えて並べていくしかないから」
 話せないというのは謙遜だろう。試合映像を見る限り、かなりコミュニケーションはとれていた。
「ぼく、ブで喋れませんから」
 ブとは、「vou」のことだ。
 乱暴に片付けてしまえば、ラテン語の根幹は動詞の活用である。
 主語が、一人称の「私」、二人称の「君」、三人称の「彼」「彼女」により動詞が変化する。そのため、主語がなくても、動詞だけでも会話が成立しやすい。
 フランス語は、親しい相手に「君」という場合は「tu」、初対面の人などには「あなた」の「vou」と使い分けする。vouの場合は、tuとは違った活用をする。
 相手に失礼がないように言葉遣いに気をつける。それも松井らしかった。

(続く)

田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクションライター。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、出版社に勤務。休職して、サンパウロを中心に南米十三ヶ国を踏破。復職後、文筆業に入り著書多数。現在、携帯サイト『二宮清純.com』にて「65億人のフットボール」を好評連載中(毎月5日更新)。2010年2月1日『W杯に群がる男達−巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)を刊行、さらに4月『辺境遊記』(絵・下田昌克、英治出版)を刊行。






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