初めて取材する人間と会う時は、遅刻はもっての他としても、あまり早めに到着し過ぎないようにしている。時間があると考えすぎてしまうことがあるからだ。だいたい約束の5分から10分前が丁度いい。
 ところが、この日は早めに着いてしまった。というのも、昨日ルマンの街を歩いていた。この街の名前が知られるのは、モータースポーツによってだ。耐久レースの記念碑があったぐらいで、特に見るものはなかった。手持ちぶさたなので、なんとなく早めに来てしまったのだ。

 松井の事務所から指定された待ち合わせ場所は、ルマンの駅から車で少々走ったところにある、ノボテルというホテルだった。一階のロビーは硝子張りになっており、太陽の光が差し込んでいた。客はほとんどいなかった。ぼくは珈琲を飲みながら、これから来る男はどんな人間だろうと想像していた。
 約束の時間より少し遅れて、松井が姿を現した。
「どうも」
 視線を少し外して、頭を下げた。思ったよりも小柄で華奢だった。ぼくの前の席に座り、ボーイを呼び小声で珈琲を頼むと取材が始まった。
「2部の優勝はどこで見ていたんですか?」
「ぼくは家で見ていました」
「どこかに出かける気にもならなかったんですね。それほど怪我はひどかった?」
「そうっすね、相当腫れていたんで」
 松井は足首を指さした。
「今年は二回目なんですよ。全部で四回目かな? 同じところやっているんで、今回は一番ひどかった。まあ、しょーがないっすね」
「足もとできちんとボールをキープする選手にとっては、フランス2部リーグはかなり厳しいリーグ?」
「厳しいんじゃないですか? 分かんないっすけど、ガツガツ来ますから」

 今年に入って二回も足首に怪我を負っている。ガツガツ来ますから――で片付けられる程度ではない。
 サッカー選手にとって足は全てである。特に足首の役割は重要だ。足首のひねり一つで、キックの時にボールの弾道を変え、エラシコのようなフェイントもできる。
そんな大切な場所を怪我したにも関わらず、松井はどこか他人のことのように淡々と話した。
 不思議な男だった。
「身体は攻撃陣の中では一番小さい方でしょ? 当たり負けしないの?」
「みんなごついですね。黒人は筋肉が違うから。当たられると……」
言葉を探して、宙を見た。
「硬い?」
「そう、硬いっス。筋肉が硬いっス」
(写真:ルマンの街中にある、「24時間レース」の記念碑。ひっそりとたたずんでいるので、注意していないと通り過ぎてしまう)

 年下のアスリートと話をするときは、言葉遣いが難しい。
 プロのアスリートというのは、どんなに年下であろうと、ぼくは敬意を持っている。
 普通に生活しているとプロという言葉はずいぶん希薄に聞こえる。本来は、会社員も、給料を貰っているから仕事のプロである。しかし、新聞社の入社試験を通れば、誰でも新聞記者である。ジャーナリストとしての適性があるかないかは問われず、新聞社の社員だから記者なのだ。ぼくのいた出版社もそうだった。雑誌や本を熟知し、能力があるから編集者ではなく、社員だから編集者なのだ。一度入ってしまえば、よほどの事を起こさなければ、社員としてその職業を続けられる。
 プロのアスリートは違う。
 契約に値するプレーができなければ、職を失う。そこはぼくたちのような物書きも似ている。アスリートと違って、物書きの世界は、取りかえの利く「ライター業」も少なくない。本当に、この人しかできないものを書き続けることは難しい。厳しさは比べものにならないにしても、プロのアスリートには常に共感を持っている。
 年下のアスリートの取材が難しいのは、ずっと敬語を使っていると堅苦しい話に終始してしまう。かといって、砕けすぎるのも失礼に当たる。さじ加減が重要なのだ。
(写真:静かで落ち着いた街、ルマンに松井はすっかり溶け込んでいるようだった)

 そんな風に思っていたのに、取材が始まって、数分も経たないうちに、ぼくは松井と年下の友だちのように会話していた。
「ところで、京都出身なんだよね。どこなの?」
「山科って知ってます?」
「あっ、山科なんだ」
 知っているのだと、という顔になった。
「ちょっとヤンキーぽい、みたいな感じですか?」
 ぼくも京都で生まれた。山科は、高校の通学路の乗り換え駅だったと伝えた。
「山科、危ないでしょ?」
 松井は悪戯っぽく笑った。
「確かに、喧嘩は少なくなかった」
 何度かぼくも喧嘩に巻き込まれたことがあった。
「こっち系の人も多くて、“お父さん、今どこにいるの”って聞くと、“貿易の仕事でいない”と」
 頬を人差し指で切る仕草をした。
「よく分からないので、家に帰って、親父に尋ねたら、“たぶん刑務所に入っているんじゃない”って」
 ぼくは笑いながら返した。
「うちの近所では、そういう人は“船乗りだから日本にいない”というのが多かったかな」
 二人で大笑いした。
 どうして、松井に親近感を感じたのか分かった。彼はぼくの馴染んできた、京都人の要素を持っていたのだ。
 ぼくの考える京都人はこうだ。
 集合写真を撮影するとする。みんなが一つの方向に向いているときに、一人だけそっぽを向くようなところがある。ちょっとした反抗である。といっても、場を乱すわけではない。人と同じことをやるのがただ嫌なのだ。ただ、周りの空気には敏感である。笑いをとって場を和ませるのは得意ではあるが、照れ屋。押しつけがましくなく、一歩引いて物事を見るところがある――。
 わざわざフランスのルマンまで来て、ぼくは旧知の人間と会ったような気になったことがおかしかった。

(続く)

田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクションライター。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、出版社に勤務。休職して、サンパウロを中心に南米十三ヶ国を踏破。復職後、文筆業に入り著書多数。現在、携帯サイト『二宮清純.com』にて「65億人のフットボール」を好評連載中(毎月5日更新)。2010年2月1日『W杯に群がる男達−巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)を刊行、さらに4月『辺境遊記』(絵・下田昌克、英治出版)を刊行。






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