松井が初めて実際にフランスサッカーに触れたのは、かなり早い時期――中学三年生の時だった。高校進学が決まり、部活の練習がなくなったので、国外を見てくればいいと父親から勧められた。父親は英語圏の国を念頭に置いていたのだが、進学先の鹿児島実業の監督に相談するとパリ・サンジェルマンを紹介された。

 パリ・サンジェルマンは、1970年に創立された新しいクラブである。首都パリにあることもあり、知名度は高く、当時はブラジル代表だったライーたちが所属していた。
 行ってみれば、何か発見があるだろうと言われて、松井はパリ・サンジェルマンの下部組織の練習に加わった。
 日本人の方が上手いかも、というのが感想だった。練習についてもとりたてて、珍しいものはなかった。最も印象に残っているのは、クラブへの行き帰りだった。
 パリで松井を受け入れてくれた日本人は、南米など世界を旅した経験があった。
――パリのメトロぐらい一人で乗れるだろ? 南米みたいに拳銃で撃たれたりしないから大丈夫だ。
 松井はパリの地下鉄を乗り継いで練習場に一人で行くことになった。パリの地下鉄は、文字通り蜘蛛の巣のように張り巡らされている。乗り換え方を聞いて、迷わないようにと必死で地下鉄の掲示を見ながら、毎日練習に通った。
 たった一カ月のパリ滞在はすぐに終わった。その時は、ブラジルなどの南米の国に行ったほうがサッカーを教わることができたかもしれないと不満だった。今となっては、そのフランスに戻ってきたのも縁だったのかなと松井は思うようになった。

 松井を取材するにあたって、今季の彼のプレーのダイジェスト映像を手に入れていた。そこに映っていた松井は、京都時代とはずいぶん違っていた。
「日本みたいにやっていたら、完全にやられますから。簡単にプレーするしかない。中盤では簡単にパスを繋いで、最後のところは自分で行く。そういうサッカーだと思うし」
 サッカーには頭の良さが必要だ。もちろん頭の良さは、勉強とは関係ない。幾ら足が速くても、ボール扱いが上手くても、頭の悪い選手は限界がある。周りの選手の動きを見て、自分のプレーを調節していく能力でもある。
「最初はずっとボールを持っていたんですよ。“早く出せ”って言われてましたね。持ちすぎだ、お前はドリブルが好きなんだなとも言われましたね」
 京都時代も監督に合わせて、プレースタイルを微調整していたが、ドリブルを中心にすることは変わらなかった。
「京都に入ったばかりの時は、チームが弱すぎてパスを出すところがなかった。あと、自分が周りが見えていなかったので、ボールを持ったらドリブル、みたいな」
 松井は得意のドリブルを押さえることにした。
「最初、チームはトップ下の選手をほしがっていたので、そこをやらされました。ぼく自身も好きでしたし。でも、フランスリーグ、特に二部のトップ下って、すごく激しく削られるんですよね」

 ルマンが採用していたシステムは、4−3−3である。
 中央で松井がボールを受けて、キープすると、相手ディフェンダーから足ごと掬われた。身体を守りながら、ボールをとられないようにしなければならない。松井はチームで身体が一番小さな部類に入る。その松井を身体で潰すのは、相手にとって難しくなかった。
「身体もたないです」
 松井は、監督に「サイドをやらせてくれ」と訴えることにした。すると、前の3枚の左サイドを任させることになった。
「そんなに動かなくてもいいし。体力的に楽になりました。守備はしなくていい、お前は攻撃のために前にいろと言われてしました」
 逆に、点を取ること、点に絡むことを強く求められた。具体的には、サイドでボールを受けて、目の前のディフェンダーとの一対一に勝つこと――それが松井に与えられた仕事だった。

 ルマンの選手たちとサッカーをしているうちに、「個人」ということを意識するようになった。日本では、中盤でボールを奪われれば、攻撃の選手でさえも、引いて守備のために動き回らなければならない。それが前線からの守備と評価される。しかし、ルマンでは、守備はボランチとディフェンスに任せておけばいい。守備は彼らの仕事なのだ。自分が戻って手助けしたとしても、評価されない。あくまでやるべきなのは、自分に与えられた攻撃で結果を残すことだった。
 その役割をこなすことができないと判断されれば代えられる。
 松井にとって、この緊張感は心地良いものだった。
(写真:個人の責任を重視するのは、ルマンだけでなく、フランス代表などでも同じである)

(続く)

田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクションライター。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、出版社に勤務。休職して、サンパウロを中心に南米十三ヶ国を踏破。復職後、文筆業に入り著書多数。現在、携帯サイト『二宮清純.com』にて「65億人のフットボール」を好評連載中(毎月5日更新)。2010年2月1日『W杯に群がる男達−巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)を刊行、さらに4月『辺境遊記』(絵・下田昌克、英治出版)を刊行。






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