第280回 義足のレスラー 谷津嘉章の挑戦

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 プロレスラーには糖尿病患者が多い。

 

 

 代表的なのが、第一級身体障害者に認定され、週2回の人工透析を受けながらリングに上がり続けたミスター珍だ。

 

 珍は、この病気が原因で左目の視力を失い、右目の視力も0.1以下に落ちた。

 

 それでもプロレスへの情熱は断ち難く、還暦を過ぎてFMWのリングに上がる際には、主催者の大仁田厚に「もしリングで死ぬようなことがあっても、協会には一切の責任はありません」としたためた誓約書を手渡していたという。

 

 珍は、それから程なくして世を去った(享年62)が、最後までプロレスラー人生を全うできたのは本望だったかもしれない。

 

「オレも68歳。日本人男性の平均寿命がだいたい80歳として、残り時間は12年。干支にするとひと回り。死ぬまでにこれだけはやっておきたいんです」

 

 過日、久しぶりに会った際、かつて新日本プロレスや全日本プロレスで活躍した谷津嘉章は、そう力説した。

 

 谷津の現在の肩書きは「日本障がい者レスリング連盟統括兼選手登録者第1号」。自ら“義足の戦士”と名乗っている。

 

 谷津が右足のヒザから下を切断したのは、2019年6月。4月のDDT後楽園ホール大会出場に向け、リングシューズを履いて練習を再開したところ、靴ずれを起こした。傷口を触ると、ポロっと爪が取れた。病状の深刻さを悟ったのは、この時だ。

 

 35歳で糖尿病を発症した。遺伝的要因に、若い頃の暴飲暴食が加わり、18年には体に壊疽傾向が見られ始めた。

 

 こうなると進行は早い。

「すぐ入院してください。1日でも早く切ってください」

 

 と医師。手術が1日でも遅れれば、壊疽は進み、切断の部位は拡大する。命を落とすこともあり得る。60年以上連れ添った右足だが、谷津には名残を惜しむ時間さえ与えられなかった。

 

「手術を決断した後も、当日までなかなか眠れなかった。10分に1回はため息をついていました。“この先、どうしよう”って……」

 

 しかし、落ち込んでばかりもいられない。21年3月には義足を付けたまま、栃木県足利市で東京五輪の聖火リレーに参加した。

 

「義足となった自分でも出場できるレスリングの大会はないか。調べた結果、世界中どこにもなかった。だったら、自分がつくってやろうじゃないかと……」

 

 自分の原点はレスリング――。その矜持が「重量級最強」と謳われた元オリンピアンを支えている。

 

<この原稿は『週刊漫画ゴラク』2024年9月13日号に掲載された原稿です>

 

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