松井への初めての取材は2005年5月、その後2006年4月にも話を聞いている。
 ルマンのスタジアムが良くなったのだと松井は教えてくれた。一部リーグに昇格したことで、放映権の分配額が増えたのだ。
「ロッカールームが綺麗になって、ジャグジーが出来たんですよ。ジャグジーが出来たのが嬉しかったです」

(写真:5月のフランスは青い空が広がり、過ごしやすい。リーグは終盤に差し掛かっていた)
 そして、ジーコが監督を務める日本代表にも1年半ぶりに招集されていた。
「フランスで結果を残しているのを見た。フィジカルの強さが増しているはずなので呼んだ」と説明された。
 ジーコの言う通り、日本人の中に入ると、自分が身体の大きな選手の中で揉まれてきたことを改めて感じた。
「日本の選手は巧いと思いますよ。日本の選手が優れているのは、パスワーク、テクニックですかね。一瞬のスピードの速さもある。ただ、フィジカルが弱い。そこで負けちゃう」
 日本人選手が国際試合で当たり負けするのは、日本の審判の責任でもあると考えるようになっていた。
「Jリーグでは割と簡単に笛を吹くでしょ。だから、それでいいやという話になってしまう。国際試合になると違う。フランスだと、ボールを持って身体をぶつけられて、こっちが頑張る。頑張って、頑張って、倒れたら、はい、笛みたいな感じ」
 欧州の他リーグの試合を見ていても、松井はフィジカルの強さを意識するようになった。
 取材した日は、欧州チャンピオンズリーグ、準々決勝ACミラン対オリンピック・リヨン戦の翌日だった。
 攻撃的なサッカーをするリヨンが終始押し気味に試合を進めたが、ACミランはイタリアのチームらしく効率的に点を取り、3対1で勝利していた。
 ルマンにはイタリア人選手が2人いた。彼らは「勝った、勝った」と大喜びしていたという。
「フランス人選手は、リヨンの方がいいサッカーをしていた。奴らは俺たちの誇りだった。セ・ドマージ(残念)なんて言ってましたね。(ACミランのクラレンス・)セードルフとか、身体が強いですよね。ケツのでかさが違いますよ。ぼくもああいう風になりたい。根っこが生えたように“あいつは倒れない”みたいに言われたいですよ」
 京都時代、松井はフィジカル強化を意識したことはなかった。
「フィジカルコーチに言われて、股の筋肉をつけることをやってますよ。でも、強さって筋肉だけじゃないんですよ。身体の使い方、感覚ってあるらしいんです。それをこれから手に入れたいですね」

 2006年W杯まで残り2カ月になっていた。日本国内では誰がW杯登録メンバーに入るのか、報じられるようになっていた。アジアカップにもW杯予選にも出場していない松井は当落線上の選手だと見られていた。しかし、現段階で欧州のトップリーグで結果を残している松井は最終的にはメンバー入りするだろうと予想している人間も少なくなかった。
(写真:一緒に街を歩いていると、サインを求められる。この街のスター選手なのだと実感する)

 日本代表では、途中から起用されることが多かった。
「試合の流れがどうなっているのか。勝っているのか、負けているのかによって、動き方を変えなければならない。難しいですね」
 サッカーの攻撃は確率であるとぼくは思っている。1本の素晴らしいクロスボールを確実にゴールに決められる選手はごく僅かだ。しかし、能力の高い選手ならば、3本のいいクロスボールがあればそのうち1本は決めることができるだろう。
 そうした意味で、松井のようなボールを持って一対一を仕掛ける選手にとって、短時間の出場時間はやりにくいはずだった。ペナルティエリアに近い場所で、ボールを受け、一対一を仕掛けて、得点に絡める機会は多くない。1試合で1、2回あるか、ないか――。回数が少なければ、勝負することを躊躇することもあるだろう。
「確率を考えたことはないですね。ミスしてもいいからどんどん行こうみたいな感じで。1回のチャンスを作って、それが得点に結びつけばいいんじゃないですか? それが1試合中に1回しかなくても、1対0で勝つことができる。それを考えればリスクを背負ってもどんどん勝負すべきだと思うんですよね」
 まさに一部リーグに昇格したルマンで、松井が要求されていることだった。
 戦力的に見れば、ルマンは中位から下のチームである。攻撃の機会は限られている。松井は、90分のうち、ほとんど姿を消している試合もあった。しかし、彼がボールを触った1回か2回のチャンスを得点に結びつけていた。

 ぼくは松井に初めて会って話を聞いた時から、ある選手を頭に浮かべていた。
 当時、オリンピック・リヨンに所属していたブラジル人選手のジュニーニョ・ペルナンブッカーノである。
 ジュニーニョは、ブラジルのバスコ・ダ・ガマ時代、ドリブラーだった。ボールを持つとなかなか離さない選手だった。そのジュニーニョはフランスに渡り、プレースタイルを変えた。サイドに張り、クロスボール1本で攻撃をコントロールした。日本ではあまり知られていなかったが、世界最高の選手の1人だった。
 ちなみに、元ブラジル代表のソクラテスは、この時のジュニーニョを、世界最高の選手と言われていたロナウジーニョよりも才能を買っており、「完璧なフットボーラーに最も近い選手だ」と評価していた。
 ブラジル時代のジュニーニョは、テクニックはずば抜けていたが、ひ弱さがあった。ボールを持ちすぎて、敵にチャンスを与えることもあった。フランスで彼は強く、賢くなっていた。
 松井と同じだった。
 2006年のW杯は、松井が世界の舞台で、進化した姿を見せる場となるだろう、ぼくはそう思っていた。

(続く)

田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクションライター。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、出版社に勤務。休職して、サンパウロを中心に南米十三ヶ国を踏破。復職後、文筆業に入り著書多数。現在、携帯サイト『二宮清純.com』にて「65億人のフットボール」を好評連載中(毎月5日更新)。2010年2月1日『W杯に群がる男達−巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)を刊行、さらに4月『辺境遊記』(絵・下田昌克、英治出版)を刊行。






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