わたしが皮肉屋の韓国人記者であれば、試合のMVPにはサウジアラビア人の主審を選ぶ。2点目のきっかけとなった日本のPKは反則のようには見えなかったし、百歩譲って反則だったとしても、ペナルティーエリアの外で犯されたものだったのは間違いない。韓国人からすれば、これまた微妙な判定だった先制点の“恩義”を差し引いても、主審に文句を付けたいところではないか。
 それにしても、リードを奪ってからはヒヤヒヤの連続だった。ここまで、日本人サッカー選手の意外な可能性に驚かされてきたであろうアルベルト・ザッケローニ監督は、就任後初めて、失望させられる日本人の資質を目の当たりにした気分ではなかったか。
 イタリア人の感覚からすれば、最良の守備とはすなわち徹底した守りである。延長戦でリードを奪ったチームに対し、ザック監督が最終ラインの人数を増やす策を与えたのはイタリア人からすれば常識的な策だった。

 ところが大方の日本人にとって、徹底した守りはほとんど悪に近いものがある。リードを奪ったチームのファンがさらなるゴールを当然のように求めるのが日本であり、「攻撃こそ最大の防御」というどこからきたのかわからない哲学が国民全体に染み渡ってしまっている。
 結果、イタリア人指揮官が授けた策は、哀れなほど中途半端なまま、最悪の策としてピッチ上で展開されてしまった。恥も外聞もなく守りを固めるはずが、恥じらいながら守ってしまった、というべきか。衝撃に極端に弱い精密機械に例えることもできる。とにかく、あれほど単純なパワープレーに、あれほど無残に蹂躪されてしまう代表チームはちょっとない。

 だが、それでもあえて、わたしはこの日の日本代表を誇りたいと思う。単純なパワープレーは誰にでもできるが、日本が前半の45分にみせた緻密なサッカーは、誰にでもできるものではなかったからだ。あの45分をみせてくれたのであれば、耐えられる。今後、たとえ茨の道に突入しようとも、耐えることができる。こんなにも可能性を感じさせる日本代表は、ついぞなかった。

 おそらく、この試合を分析したオーストラリアは、どこかの段階で間違いなくパワープレーを仕掛けてくる。韓国よりもさらに大型な相手の力攻めをしのぐのは、簡単なことではない。けれども、この段階で自分たちの弱点が明らかになり、高さ、強さではワールドクラスとも言える相手がそれをついてきてくれるとしたら、こんなに素晴らしいことはない。29日の決勝は、日本にとって最良の教材ともなる。

<この原稿は11年1月27日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
◎バックナンバーはこちらから