「世界で最もレベルの低い国際大会」と嘲笑されることもあったアジア杯も、ついに活躍した選手が世界的ビッグクラブに引き抜かれるような大会になった。長友のインテルへの移籍は、日本のみならず、アジア杯に参加した選手、観戦した関係者にも大きな勇気と希望を与えたはずである。いよいよもって、アジア杯は新しい次元、時代に突入したと言っていい。
 新時代と言えば、日韓関係についても同様の思いを強くした。
 物議を醸した奇誠庸の“猿まね”。その行為自体は決して褒められたことではないし、本人がどう言い訳をしようとも、日本人を挑発してやろうという意図が皆無だったとは思えない。
 だが、彼の行為を批判する声が、韓国国内からあがったのには驚かされた。
 以前の韓国、W杯を日本と共催する前の韓国、日本に韓流ブームが来る以前の韓国であれば、自国民が日本を小馬鹿にしたとして、それを「やめた方がいい」とたしなめる声があがっただろうか。今回も存在していたという「相手が日本なのだからかまわない」といった声に圧殺されてしまったのではないか。
 韓国の大学を卒業後、進路を日本のJリーグに求めた盧廷潤が“売国奴”と罵られたのはもう20年近く前のことになる。日本に理解を示すことが裏切りで、敵意をむき出しにすることが愛国心だとされてきた国は、スポーツ、映画、音楽などの関係を深めることによって、確実に変わりつつある。

 日本に優勝をもたらすゴールが在日4世のコリアンによって生まれたというのも、ある種象徴的である。
 かつてベルリン五輪で日本に金メダルをもたらした故・孫基禎さんは「なぜ君が代が自分にとっての国歌なのか」と涙ぐんだというが、李忠成が見せたのは混じりっ気のない爆発的な歓喜だった。在日コリアンが出自を隠すことなく日本代表として戦い、自らのゴールに歓喜し、そのゴールが日本全土を熱狂させる――。いささか大げさな表現を許していただけるなら、これは歴史的な事件である。
 そして、そんな歴史的な事件が、アジアを舞台とした大会で起こったというのも、また歴史的である。

 決勝直後のコラムで、わたしは「勝って得られる自信、経験が世界につながる大会になった」と書いた。世界での勝利にしか価値を見いだせなかった日本人が、アジアでの勝利に熱狂できるようにもなった。
 ならば、いつかは日本でこの大会を見たい。いまだかつて実現したことのない、全試合が満員になるアジア杯を、日本人の情熱で実現させてみたい。もはや、ありえない話ではないはずだ。

<この原稿は11年2月3日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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