「この競技が中継できるようになれば、障害者スポーツの中継はグンと広がる」
 そう語ったのはスカパーJSAT執行役員専務・放送事業本部長の田中晃氏です。「スカパー!」では2008年から車椅子バスケットボールの中継を行なっています。来年のロンドンパラリンピックでは車椅子バスケットボール以外の中継も検討されており、今後はさらに障害者スポーツの中継が拡大されることでしょう。その指揮をとられているのが田中氏です。同氏が障害者スポーツ中継のカギと見ている「この競技」というのが、今回ご紹介する「ボッチャ」です。
(写真:横浜で開催された「2011 BOCCIA JAPAN CUP」。2日間にわたって熱戦が繰り広げられた)
 ボッチャとは、今や日本でもお馴染みとなった「カーリング」によく似た競技です。まず最初に「ジャックボール」と呼ばれる的になる白いボールを先攻の選手がコートに投げ入れるところから始まります。そのジャックボールを目がけて、選手が決められた場所から赤と青のカラーボールを投げたり、転がしたりします。ジャックボールに近い方のカラーボールの数が得点となり、その合計点で勝敗が分けられます。

 カーリングを想像していただくとわかりやすいのですが、ボッチャには激しさやスピード感というものはありません。しかし、スポーツの世界ならではの駆け引きや緻密な計算による細やかで鮮やかな技を堪能することができます。いえ、もしかしたらカーリング以上に駆け引きが必要とされるかもしれません。というのも、カーリングでは中心の円にいかに近づけるかを競うわけですが、その中心の円は氷上に描かれているため、動かすことはできません。しかし、ボッチャはジャックボールにカラーボールを当てて動かすことができます。ですから、なかなか計算通りにはいかない。最後まで結果がわからないというところに妙味があると言ってもいいでしょう。

 ボッチャはスポーツだ!

 私が初めてボッチャという競技に触れたのは2年前。障害者スポーツセンターでの体験会でした。見るだけでなく、実際に自分でもやってみたところ、初心者でも十分に楽しめる競技でした。しかしそれまで体験した障害者スポーツ、例えばシッティングバレーボールやブラインドテニスのように、これがスポーツであるという感覚を正直ボッチャには持つことはできませんでした。あくまでも“楽しさ”はゲーム感覚のものだったのです。ところが、今月8、9日に障害者スポーツセンター横浜ラポールで開催された「2011BOCCIA JAPAN CUP」で初めて本格的に競技としてのボッチャを観戦したところ、「これはスポーツだ」とすぐに感じることができたのです。

 まず最初に感じたのは、競技性の高さでした。決勝戦の際、傍らで観戦していると負けてしまった選手にコーチがこんなことを言っていたのです。「意図をもって投げたのと、結果としてそこにいったのとでは全く違う。それがわかるか?」。その後も戦略論は延々と続きます。聞けば聞くほど興味をそそられました。相手を上回る“戦略”と、それを忠実に実行に移すための“技術”。彼らの会話を聞いていて、ボッチャがいかにこれらが必要とされるかがわかりました。と同時に「あぁ、やっぱりこれはスポーツだ!」と感じたのです。

 そして私が更にスポーツとしての感動を覚えたのは、選手たちの身体の動きでした。ボッチャでは4クラスに分けられていますが、なかでも最も障害の重いクラスが「BC3」です。ほとんど手足を動かすことができない選手が、介助者に「ランプス」と呼ばれる傾斜のついた器具を持ってもらい、そこに設置されたボールを指で押し出したり、口にくわえた棒上のもので押したりして転がします。見ていると、それまで麻痺で震えていた指や口にくわえた棒がボールを押し出す瞬間だけ、ピタッと止まるのです。そしてボールを押し出し終わると同時に、まるで跳ね返るかのように上体を後ろに仰け反らせたり、時には体が震えたりするのです。私たちも何かに集中した後にふっと力を抜いたりしますよね。それが身体全体に表れるのです。球を押し出すその瞬間、指の震えを止めるのにどれだけのエネルギーと集中力を必要としているのか、いかにそれが彼らにとって大変なことなのか。解き放たれたように反動的に仰け反る様子を見て、そのことが伝わってきました。全神経を極限まで集中させるその姿はまさにアスリートそのもの。2年前には感じられなかったボッチャがスポーツであるという感覚を、私は肌で感じることができたのです。

 無限の可能性を秘めたスポーツ

「ボッチャをやっている時だけが人と対等でいられる」。ある選手から、そんな言葉を聞いたことがあります。BC3クラスの試合を実際に見てみて、本当にその通りだなと思いました。前述したようにこのクラスでは介助者をつけることができるわけですが、介助者はコート内を見ることも、選手に話しかけたりサインを送ることもできません。許されているのは、選手が指示したとおりにランプスの角度や位置を動かすだけ。まるでロボットのように選手の指示を聞くだけで、その表情さえも無に等しいのです。つまり、完全に選手主導の下で試合が行なわれているわけです。普段は誰かの介助を必要とすることが多くても、ボッチャをやっている時だけはすべてを自分の判断に委ねられる。つまり、唯一彼らが独立した行動をしている瞬間なのです。

(写真:初優勝した奈良淳平選手<左>とパートナー)
 では、自らの意思をまったく持たずにアシストする介助者は、どのような気持ちで競技に臨んでいるのでしょう。今回、私が観戦した「2011BOCCIA JAPAN CUP」で優勝した選手の介助者はこんなことを語ってくれました。「介助者もプレーヤーの一人ですよ。確かに選手の指示通りに動き、自分の意思は一切反映されない。でも、介助者である自分がいなかったらプレーは成り立ちません。だからダブルスのような気持ちでやっているんです。信頼関係が結ばれないとできない競技がボッチャ。介助者への信頼があるからこそ、選手は力を発揮できるんです」。私は言葉を失いました。ロボットのように見えていた介護者は、ダブルスを組んで選手とともに戦っていたのです。さらに選手自身もこんなことを言っていました。「エンドが終わる度に、ボールが回収される。その間、少しだけ介助者と話すことができるんです。その時に『いい感じだね』などとひと言かけてもらうとすごく安心できる。落ち着いて次のプレーに集中できるんです」。あくまでもすべての意思決定は選手が行ないますが、それも介助者との信頼関係があってこそのもの。ボッチャの中でもBC3クラスしか味わえない醍醐味です。

 もともとボッチャとは重度の障害者にもスポーツが楽しめるようにと考案された競技。ボッチャには足の速さやジャンプ力といった身体能力は必要ありません。たとえ言葉を話すことができなくても、「このボールをこう転がしたい」という意思さえ伝えることができれば誰でもやることができる。究極のユニバーサルスポーツと言ってもいいわけで、ここにボッチャという競技の最大の魅力があるのです。

「ボッチャを知るまではスポーツは自分とは縁のないものだと思っていました。でも、ボッチャをやるようになって、自分もスポーツの楽しさがわかりました。スポーツをできる喜びを感じています」
 表彰式で金メダルを首にかけ、誇らしげにそう語る選手を見て、ボッチャという競技がもつ重みを感じないわけにはいきませんでした。手足の自由がきかない、話すことさえもできない。それでも成立するスポーツ、ボッチャには無限の可能性が秘められている。そんな新たな発見をすることができました。

伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>
新潟県出身。障害者スポーツをスポーツとして捉えるサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND副代表理事。1991年に車椅子陸上を観戦したことがきっかけとなり、障害者スポーツに携わるようになる。現在は国や地域、年齢、性別、障害、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション活動」を行なっている。その一環として障害者スポーツ事業を展開。コミュニティサイト「アスリート・ビレッジ」やインターネットライブ中継「モバチュウ」を運営している。2010年3月より障害者スポーツサイト「挑戦者たち」を開設。障害者スポーツのスポーツとしての魅力を伝えることを目指している。