NPB(日本プロ野球組織)における現役最年長投手である。いったい、誰がプロ入り時に今の山本昌(本名:昌広)の姿を予想し得ただろう。
 1984年に神奈川の日大藤沢高からドラフト5位で入団。最初の4年間は勝ち星なし。その間、何度も解雇の危機に見舞われた。

 ところが、人生はわからないものだ。本人いわく「島流し」同然で送り込まれたアメリカ(ドジャース1A)で伝家の宝刀シンカーをマスターするのである。
師匠はヨゼフ・スパグニョーロという中米出身の野手。ある日、キャッチボールで野手なのにいいシンカーを投げていた。握り方を教わり、見よう見まねで投げた。すると周囲が驚くほど変化した。右ヒザが割れ、腕が遅れて出てくる独特な投げ方がシンカーには適していたのだ。

 アメリカから帰国するなり、いきなりプロ初勝利。このシーズン(88年)、山本は5勝0敗、防御率0.55という好成績で星野中日のリーグ優勝に貢献した。
 140キロに満たないストレートながら、93年(17勝)、94年(19勝)と2年連続で最多勝に輝いた。97年にも18勝で最多勝。06年にはノーヒットノーラン、08年には通算200勝を達成した。
 同学年の古田敦也は「130キロそこそこのストレートで名球界入りしたのは後にも先にもマサだけ。この事実だけを見ても、いかにすごいピッチャーかわかります」と妙な褒め方をしていた。

 昨シーズンはキャンプ終盤に故障し、引退寸前にまで追い込まれた。だが、8月に1軍に上がると、ローテーションの一角に食い込み、5勝(1敗)をマークした。
 7月1日の時点で中日は首位・巨人に8ゲーム差をつけられていた。山本はそれをひっくり返し、逆転優勝を成し遂げる立役者となった。
「5連勝なんて想像もしなかった。そういう意味では本当に奇跡。でも奇跡を呼んだのは一生懸命練習したからだと思います。若い頃よりは練習するようになりましたから」

 28年目のシーズンを迎えるにあたって、彼はひとつ不安を感じている。それは今季から12球団統一で導入される「低反発球」である。
 ボールが飛ばなくなるのはピッチャーにとって有利だが、問題は別のところにある。山本によれば、「ボールの表面がツルツルしている」らしいのだ。
 昨年の千葉ロッテとの日本シリーズで山本は1イニングに2球も暴投を放った。コントロールに定評のあるベテランにしては珍しい失態だった。
 実はロッテが採用していたボールは米ローリングス社製。米国製のボールは例外なく表皮が滑りやすい。

 苦虫を噛み潰したような表情で山本は語った。
「ボールが滑るのは仕方がない。だったらアメリカのように粘着力のあるロージンを使わせてもらいたい」
 球界最年長投手の提言をコミッショナーはどう受け止めるのか。

<この原稿は2011年2月13日号『サンデー毎日』に掲載されたものです>

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