2年続けて1票差で落選した中日監督の落合博満がついに野球殿堂入りを果たした。プレーヤーとして三冠王3度は史上最多だけに当然と言えば当然の勲章である。

 落合と言えば“オレ流”が代名詞である。グリップエンドの位置をヘソあたりに置き、バットを立てて構える独特の“神主打法”。監督になってからは、3年間、1度も1軍登板のなかった川崎憲次郎を開幕投手に指名するなど、やることなすこと一風変わっている。
 中日が53年ぶりの日本一になった07年の日本シリーズでは、シリーズ史上初の完全試合まで、あとアウト3つと迫った山井大介をマウンドから降ろし物議をかもした。

 そんな落合にも、本人の言葉を借りれば「ただひとりの先生」と呼べる人物がいる。
 その人物の名前は土肥健二。ロッテ時代の落合の先輩だ。
 ポジションはキャッチャーだったが、目立っていたのは守りよりもバッティングだった。
 とはいえ、プロ15年間での通算安打497本、通算打率2割6分8厘だから、クリーンアップを打つほどのバッターではなかった。

 落合が土肥のバッティングを手本にし始めたのは入団3年目の鹿児島キャンプである。
 落合によれば「はぁ、うまいこと打つな。あれをまねできたら……。ヨーシ、オレもまねしてみよう」と感心したことが、“弟子入り”のきっかけだったという。
 弟子入りといっても、じっと見ているだけだ。教えを乞うわけではない。
「近くにいい教材があるのだから、みすみす放っておくことはない」
 それが今に至る落合の一貫した考え方だ。

 プロ野球界には「教わるより盗め」という言葉がある。
“生きた教材”がウヨウヨいるのだから、自分に合った手本を探せばいい。「盗んだ」からといって、後で請求書は来ないのだから、考えてみればいい業界である。

<この原稿は2011年2月7日号『週刊大衆』に掲載されたものです>

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