第4回「何者でもない自分に還る旅 その2」

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 前回に続き、舞台は、山梨にある日蓮宗の総本山、身延山の宿坊である。

 

 宿坊でのチェックイン時、お宿の説明をいろいろと伺い、宿坊体験に心を弾ませていると、ご住職から「もしかして、フランス語を話せたりしますか?」と思いがけない質問をされる。

 

 私にとって初めての身延参りであり、もちろん、ご住職とも初対面である。

 なんだろうと不思議に思いながら、「少しフランスに住んでいたことがあるので、フランス語も少しなら……」と話すと、ご住職の表情がパァッと明るくなる。「実は今日、今宮さんの他に、フランスからお越しのお客様がいらしていて、年齢も近そうですし、きっと仲良くなれますよ!」とのことである。

 

 海を渡って、言葉がわからない土地での、しかも山の上のお寺に泊まるという体験は、なかなかにエキサイティングなのでは? と、その「フランスからお越しのお客様」に思いを馳せてみる。一体、どんな方なのだろう。

 

 宿坊での夕方の勤行に参加させていただくためにロビーで待っていると、私と同じく作務衣姿の女性が入ってきた。きょろりとした目を輝かせて、「こんにちは〜」と愛くるしく微笑む彼女に、初めて会ったとは思えない親しみを覚えると同時に、ハッとする。日中、奥の院のある山頂で、私と同じように、一人で串きり団子を頬張っていた若い女性だったのである。

 

 私が少しフランス語ができることをご住職から聞いていたらしい彼女は、「あなたね!」という感じに、今日あった出来事をバァッと嬉しそうに話してくれる。奥の院までロープウェーではなく、登山で上がったところ、何度か滑って大変だった、とまるで実況中継のように事細かに、楽しそうに教えてくれた。

「それにしても、こんなところでフランス語が話せる方に会えるなんて不思議!」と彼女は笑う。まるで、高校の同級生に再会したかのような懐かしい気持ちになってくるから不思議である。

 

 そんな彼女と私は、ご住職に案内され夕方の勤行に入る。初めてお参りした山の上のお寺で、どこか懐かしいフランスから来た女の子と一緒に、ご住職の唱えるお経の声に一生懸命ついていく。みんなのお経を読む声が重なっていくと、気持ちがいい。

 

 勤行の後、ご住職から法話を伺う。お線香の匂いを通じて、仏様となった故人との間に道ができ、お経を唱えることが供養に繋がるということ。目に見えるものが全てではないと感じる。

 

 夕食は、奥様が真心を込めて作ってくださった精進料理をいただく。

 ここでは、お風呂に入って身を清めることも、お食事をいただき心身健康に保つことも、仏の教えに励むための道の一つであると感じる。ご飯をいただく前にお唱えする「食法」では、私たちが普段当たり前のように行なっている「ご飯を食べる」という行為そのものが、当たり前ではないということ、目の前のお盆に載ったお食事に、一体どれだけ多くの方々の労力が関わっているのか、その一つひとつが尊く、なんて有り難いのだろう、と感じる。そして、同じような気持ちを、隣で英語版の「食法」を唱えているフランスから来た女の子も少なからず感じているような気がする。本当に一つひとつの料理がおいしくて、身も心も満たされていくのだ。

 

 その日の夜は、彼女のたっての希望により、ご住職ご指導のもと、お寺の本堂で瞑想を体験させていただくことになった。パリで暮らす彼女は、何度も独学で瞑想を試みたそうだが、雑念に気を取られて、なかなか集中することができなかったという。ご住職から貴重なアドバイスをいただき、いざ実践である。

 

 開け放した戸口から時折入ってくる涼しい風に、秋の始まりを告げる虫の声、暗闇の中、ほのかに揺れる蝋燭の炎に照らされた須弥壇の黄金色、天まで届きそうなお線香の煙。

 

 生まれも育ちもこの身延山というご住職。

 パリで生活し、リュクサンブール公園で散歩するのが日課で、明後日には日本を発つという彼女。日本で東京以外の場所に来たのは、ここが初めてだという。

 そして、三日前に急きょ他のお客様のキャンセルが出たことで、運良く宿坊に飛び込み予約した私。この不思議な巡り合わせにより、今ここで、瞑想をしている。それが、すべてだ。

 

 そういえば、私も彼女も、お互いの仕事の話とか肩書きとか年齢とか、そういった「娑婆世界」での飾り物については、一切触れなかった。それ以上に、身延山での大切な気づきや、これまでどんなふうに育ってきたかなど、いろいろな話をした。共に勤行したり、ご飯を食べたり、瞑想したりする中で、彼女の心優しい人となりに触れた。

 

 もし、彼女と東京で出会っていたら、こんなふうになっていただろうか。

 思わず、年齢を聞いてしまったり、仕事の話をしてしまっていたかもしれない。

 

 山の上でお坊さんたちの生活を目の当たりにしたり、自然の豊かさに身を浸したりするうちに、普段あくせくと生活する中で知らず知らずのうちに背負ってしまった余分な荷物を下ろしていき、お互いに丸腰になった状態で出会ったような気がする。少なくとも、私にとって、この旅は「何者でもない自分に還る旅」となった。

 

 翌朝、宿坊を出発する彼女が私にかけてくれた言葉が忘れられない。

「あなたがこれから歩む未来が、幸運と喜びに満ち溢れたものになりますように、ずっと祈っているからね!」

 

 彼女は、パリの生活に戻り、今頃はリュクサンブール公園を走っている頃だろうか。

 そんな彼女の姿を思い浮かべると、私もワクワクした気持ちになってくる。


(つづく)

 

今宮ライカ(いまみや・らいか)プロフィール>

日本語学校教師。国際基督教大学卒。ロンドン大学東洋アフリカ研究学院修士課程修了。趣味は世界の絵本作家動向調査。

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