第211回 「ジーコスピリット」の額縁は、ただの飾りではない

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 大谷翔平選手、山本由伸選手が所属するロサンゼルス・ドジャースが地区優勝を決め、勢いそのままにワールドシリーズを制覇しました。日本のプロ野球はセ・リーグ3位の横浜DeNAが日本シリーズで奮闘しています。野球のホットなニュースが続く中、僕の古巣である鹿島アントラーズは大きな転機を迎えました。今月は“改革期”の古巣に思うことを綴りましょう。

 

 強化責任者の交代劇

 

 アントラーズは今年監督に就任したランコ・ポポビッチとの契約解除を10月6日に発表しました。後任にはコーチだった中後雅喜が就任しました。今回は監督交代だけにとどまらず、2022年から強化責任者の立場にあった吉岡宗重フットボールダイレクター(FD)の退任も発表され、クラブの後輩にあたる中田浩二がこの任に就いています。

 

 FDの交代は大きな意味を持つでしょう。かつては鈴木満さんが長きに渡り務めた職です。選手、監督、コーチ、スタッフの現場とフロントをつなぐ重要な役どころ。ジーコが住友金属(アントラーズの前身)に加入した時から、満さんは「鈴木、これじゃダメだ! あれも違う! これじゃプロのサッカークラブではない!」と要求されていました。ジーコと満さんの努力があり、少しずつグラウンドが整備され、クラブハウスが建てられるなど、プロサッカークラブとしての環境が整っていきました。

 

 現場に目を移すと、この5年間で5人も監督が替わっています。現場のトップが替わればやり方は変わります。これだけコロコロと監督が交代すれば、ピッチ上では選手の場当たり的な判断に頼らざるを得ない。こういうところから、ほころびが生まれ、相手にスペースを与え、全て後手後手の対応になる。負ける典型、もしくは勝ち切れない典型的な流れと言っていいでしょう。

 

 今月からは新FDのもと動いています。中田には一貫性を持った仕事を長きに渡り期待したいものです。

 

 “継承の質”を問う

 

 時代に応じて、変化する柔軟性はとても大事です。その一方で、普遍的なものもあると思います。アントラーズにとっては「ジーコスピリット(TRABALHO<献身>、LEALDADE<誠実>、RESPEITO<尊重>」がそれにあたるでしょう。

 

 ジーコはまだアマチュアだった住金の選手(ロッカールームの使い方も荒々しかった……)たちに「こんなんじゃ、ダメだろ!」とサッカー(仕事)に向き合う大切さを口酸っぱく説きました。ジーコは選手だけでなく前述したようにフロント組にも「プロのサッカークラブのフロントのあるべき姿」を説いていました。口酸っぱく言う、嫌われ役を買える人物は同時に、周囲からの信頼が厚い人物だと思います。この存在がいないのが、痛いです。

 

 クラブOBの僕の目には、「今のアントラーズはジーコスピリットが薄れているのかな」と映っています。個人個人は自分の考えのもと、頑張って仕事に従事しているのでしょう。ですがそれは、各々の“思い勝手”でもある。みんなが1つにまとまるためにも、今一度、ジーコスピリットのもとに全員が考え、行動する必要性を感じます。

 

 これは選手、監督など現場だけの話ではありません。クラブの広報部も、経理部も、総務部も、アントラーズ全ての人員がジーコスピリットは何たるか、をもう一歩、もう二歩も踏み込んで考えるべきです。僕自身、サッカー畑から離れ、一般職に就いてからも「ジーコスピリットって、やっぱ大事なんだな」と思う場面が多い。僕にとって、サッカーだけにとどまらず、この精神は“人生のテーマ”となっています。

 

 昔はロッカールームの入り口にジーコスピリットが額縁に掲げられていました。今は選手の目につくところだとミーティングルームに掲げられていると聞きます。クラブハウスにも掲げられています。今の若い世代にとってその額縁が、ただの飾りにしか見えていないとしたら、寂しいですね。

 

 小泉文明社長は茨城を活性化させようと尽力していることも知っています。彼のお父さんが茨城県行方市出身で、30年来のアントラーズファンだということも知っている。熱い思いのあるクラブ社長なのは存じております。さらにトップチーム、アカデミーなど立場は様々ですが主力としてタイトルを獲得した経験がある中田、中後、小笠原満男、本山雅志、曽ケ端準らがいます。彼らは勝つことの難しさ、勝ち続けることの厳しさとジーコスピリットを知る世代でしょう。このクラブが常勝に返り咲くためにも、大事な時期を迎えています。

 

●大野俊三(おおの・しゅんぞう)

<PROFILE> 元プロサッカー選手。1965年3月29日生まれ、千葉県船橋市出身。1983年に市立習志野高校を卒業後、住友金属工業に入社。1992年鹿島アントラーズ設立とともにプロ契約を結び、屈強のディフェンダーとして初期のアントラーズ黄金時代を支えた。京都パープルサンガに移籍したのち96年末に現役引退。その後の2年間を同クラブの指導スタッフ、普及スタッフとして過ごす。現在、鹿島ハイツスポーツプラザの総支配人としてソフト、ハード両面でのスポーツ拠点作りに励む傍ら、サッカー教室やTV解説等で多忙な日々を過ごしている。93年Jリーグベストイレブン、元日本代表。

*ZAGUEIRO(ザゲイロ)…ポルトガル語でディフェンダーの意。このコラムでは現役時代、センターバックとして最終ラインに強固な壁を作った大野氏が独自の視点でサッカー界の森羅万象について語ります。

 

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