今シーズンから新潟アルビレックス・ベースボール・クラブの監督に就任した橋上秀樹です。私は2009年まで田尾安志氏、野村克也氏の下で5年間、東北楽天のコーチを務めました。ご存知のように、楽天には石川ミリオンスターズから入団した内村賢介がいます。また、楽天のファームは新潟と交流戦をしていますし、BCリーグの指導者にはNPBの同僚もいます。ですから私にとってBCリーグは結構、身近な存在でした。
 とはいえ、私自身がBCリーグの指導者になるとは全く予想していませんでした。今回、球団から打診をされた時も、迷わなかったといえばウソになります。実は、他にもいくつかオファーをいただいていたのです。決め手となったのは唯一、監督というポジションでのオファーだったということです。おそらくほとんどの野球人がそうだと思いますが、私にも一度は監督をやってみたい、という強い思いがあったのです。

 また、私の指導方針について球団から理解を得られたということも大きかったですね。そもそも藤橋公一球団社長が私に監督の依頼をするきっかけとなったのが、私の著書(『野村の「監督ミーティング」』『野村の授業 人生を変える「監督ミーティング」』<ともに日文新書>)を読み、球団と私の考え方がフィットしていると感じていただいたからだったそうです。

 私が指導方針として重要視しているのは主に二つ。ひとつは野球選手である前に社会人として成長すること。もうひとつは指導者側が一方的に押し付けるのではなく、選手の自主性を重んじること、そして選手たちには自ら考えて行動してほしいということです。これらが球団の方針と合っていたことで、今回の話をいただくことになりました。私としても球団に自分の考えを理解してもらっていることは、非常にありがたい気持ちです。

 さて先月、全国でも大きく報じられましたが、元ヤクルトの守護神・高津臣吾が新潟に入団することが決定しました。私は監督に就任するまで、球団が彼と交渉していることは全く知りませんでしたが、就任決定後は6年間、ヤクルトでチームメイトだった好みで何度か電話で話をしました。その時、高津は入団することを迷っていました。その理由は金銭面でも環境面でもありませんでした。それこそ台湾ではBCリーグと同じような環境や条件でやってきた彼ですから、そのようなことで躊躇していたわけではなかったのです。

 高津が迷っていた一番の理由は、会見でも本人が言っていましたが、「上を目指している若い選手のためにつくられたリーグに、本当に自分が入っていいのか」ということでした。そこで私は球団が、なぜ高津を必要としているのか、その意味を話しました。もちろん、一人のピッチャーとして大きな戦力であることは間違いありません。しかし、それだけではないはずです。彼が日本、米国、韓国、台湾で培ってきた経験は、何ものにも代えがたい財産です。それをもっている彼だからこそ、その存在は球団のみならず、リーグに大きな影響を及ぼすことでしょう。選手、球団、リーグが彼から学び、得るものは少なくないはずです。そのことを球団は高津に一番求めているのです。彼が入団を決めたのは、そのことをきちんと理解したからだと思います。

 高津は周知の通り、プロ野球セーブ記録(286)の保持者です。日米韓台で積み上げた通算セーブ数は347にものぼります。クローザーは試合を締めくくるポジション。僅差の場面でマウンドに上がり、スタジアム中が一球一球に固唾を飲んで見詰めます。そんな最も緊張する場面で長年、投げ続けているのですから、高津は強靭な心臓の持ち主です。それはグラウンド外のこんなエピソードからも分かります。

 ヤクルトが15年ぶりに日本一になった1993年のオフ、私たちは優勝旅行に行きました。ある所でバンジージャンプをやっていたので、「すごいよな」なんて話をしながら、選手5、6人で見ていたときのことです。私が冗談で「誰かバンジージャンプをやるヤツがいたら、みんなでお金を出してやるぞ」と言いました。確か、その中には古田敦也もいましたが、いつも物怖じしない彼さえも手を挙げませんでした。

 私もまさか誰も手を挙げないだろうと思っていたのですが、なんと一人だけ手を挙げた選手がいたのです。それが高津でした。正直、バンジージャンプでケガでもされたらどうしようかと、こちらはビクビクしていました。ところが、やり終わって戻ってきた高津は「楽しかったですよ」とニコニコしながら言うのです。当時、ヤクルトの選手はテレビ番組にもよく出ていて、古田や石井一久(埼玉西武)など若手は本当に精神的に強い選手が集まっていましたが、その中でも高津のタフさは全くひけをとっていませんでした。それがそのままマウンドでのピッチングにも出ていました。

 そんな高津も42歳。今の彼に私が期待しているのは、技術もさることながら、やはり経験してきたことを若い選手に伝えてほしいということです。特に昨シーズン過ごした台湾は、前述したように環境面では独立リーグとそう変わらないと聞いています。その中で1年間戦うためには、どうすればコンディションを保つことができるのか、どうモチベーションをコントロールしていけばいいのか、高津はそれを実践してきているわけです。若手にはこれほどのお手本はありません。

 また、高津はこうも言っています。「環境うんぬんよりも、野球がやれる幸せを感じたい」。私も全く同感です。もちろんNPBに比べれば、決して恵まれているとは言えません。しかし、練習環境が厳しかろうが、給料が安かろうが、NPBを目指して野球漬けの毎日を送ることができるのです。現在、社会人チームが減少の一途を辿り、高校や大学を卒業してからも野球への情熱を捨てきれない選手たちの受け皿が失われています。そんな中、BCリーグの一員として野球をやれるだけでも幸せなこと。高津は身を持ってそのことを知っている選手です。だからこそ、彼がこのリーグにいる意味は大きいのです。

 現在、アルビレックスでは週に2日、自主トレーニングを行なっています。私もできるだけ指導をしたいと思っているのですが、地元の方々への挨拶など、監督としてやらなければいけないことが盛りだくさん。なかなか足を運べずにいるのですが、それでも少なくとも週に1度は練習を見るようにしています。練習メニューは昨シーズンのものを土台にして、青木智史、中山大の両コーチが作成してくれています。正直、コーチや選手たちのあまりの熱心さに驚いています。新潟ではまだ雪が残り、グラウンドは全く使うことができません。そんな中でも選手たちからは気迫がみなぎっており、上を目指そうという真剣さがひしひしと伝わってきます。私が「これ以上、やらなくても……」と思わずストップをかけるくらいの勢いです。

 昨シーズンの成績を見ると、やはり得点力不足が最大の敗因だと感じています。その部分をどこまで引き上げられるかが今シーズンのポイントとなることでしょう。もちろんチームの目標は優勝ですが、監督としての私の使命はもう一つあると思っています。それは球団初のNPB選手を出すこと。チームスローガンを「夢を掴め! その為に…」としたのも、NPBへ上がるためには何をしなければいけないのかを考えてほしいからです。

 また、ファンの皆さんには優勝という目に見える成果とともに、感動という目に見えないものも与えていきたいと考えています。NPBと比べれば、技術的な感動を与えることは難しいかもしれません。しかし、野球へのひたむきさ、一球一球への必死さは見せられるはず。また、期待通りのプレーでは感動にまでは至りませんから、ファンが期待しているそれ以上のものを見せたいと思っています。そして練習を見ている限り、アルビレックスの選手は必ずや感動を与えられると確信していますので、今シーズンも応援よろしくお願いします!


<橋上秀樹(はしがみ・ひでき)プロフィール>:新潟アルビレックスBC監督
1965年11月4日、千葉県生まれ。安田学園高から1984年、ドラフト3位でヤクルトに入団。捕手から外野手に転向後、92年にレギュラーを獲得し、3度のリーグ優勝、1度の日本一に貢献した。97年に日本ハム、2000年に阪神に移籍し、その年限りで現役を引退。2005年に東北楽天のコーチに就任し、07年からは3年間、野村克也元監督の下でヘッドコーチを務めた。著書に『野村の「監督ミーティング」』『野村の授業 人生を変える「監督ミーティング」』(ともに日文新書)がある。今季より新潟アルビレックスBCの監督に就任した。
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