いよいよ今週末、2011シーズンのJリーグが開幕します。今月のキャンプを経て各クラブは第1節に照準をあわせてきていることでしょう。昨季、豊富な戦力で初優勝を果たした名古屋グランパスが今年も頂点に立つのか。それとも捲土重来を狙う鹿島アントラーズが王座を奪還するのか。もちろん、他クラブの巻き返しやJ1へ復帰を果たした3クラブの戦いぶりも見逃せません。1月のアジアカップで日本中が盛り上がった興奮を、ぜひJのスタジアムで再現してもらいたいですね。

 今季のJリーグを占う上で、名古屋の充実ぶりから目を背けるわけにはいきません。昨シーズンでは3試合を残し優勝を決め、圧倒的な強さをみせました。充実した戦力を持ちながらこれまで優勝できなかったのが不思議なほど、勝負どころでの名古屋の戦いぶりには力強さを感じました。頂点に立つことの難しさを嫌というほど知っている彼らは、リーグタイトルの獲得で大きな自信を手に入れたことでしょう。今年は追われる立場になります。チャンピオンを引きずり降ろそうとするのは勝負の世界の常です。マークされる者の苦しさを乗り越えれば、4クラブ目のJリーグ連覇が見えてきます。

 名古屋には昨年までの戦い方を忘れて欲しくないですね。優勝という結果を残したことで、今季はドラガン・ストイコビッチ監督の考えやチームの熟成が問われるシーズンになります。さらに選手間での理解や連係を深め、もう一段高いレベルのサッカーを実現して欲しい。優勝クラブが守りに入ることが最も危険なことです。長いシーズンを戦い抜くには勢いも必要でしょう。チームの成熟を追及することはもちろん大切ですが、チームが停滞したときにサポーターは目新しさを求めることのもまた事実。昨年の土台の上にプラスアルファを加えることができるか。ここが連覇へのキーになるでしょう。

伝統を引き継ぐことができるか

 4連覇を逃がした鹿島には、レンタル復帰組も含め多くの選手が加入しました。もともとチームコンセプトはしっかりとしており、各ポジションのバックアップも充実しています。念願のACL制覇も視野に入れ、2011シーズンに臨みます。

 鹿島にとって、今年のキーワードは世代交代でしょう。柴崎岳ら4名の10代選手が加入した今季は小笠原満男や本山雅志、中田浩二が入ってきた99年と似ているように思います。中長期的な視野に立つと、そろそろベテラン選手たちの後継者を考えはじめなければいけない時期に入っています。そこへ10代の選手が多く入ってきたわけですから、彼らを上手に育てなければいけません。

 もちろん、柴崎たちの年代がいきなりJの舞台で活躍しなければならないという意味ではありません。小笠原たちが担ってきた牽引役を次の世代である野沢拓也や青木剛が引き受けること。これがまず第一歩です。あとは順番に次の世代が先輩の役割を引き継いでいければいい。3年目の大迫勇也あたりも、新人たちの存在が気になっていることでしょう。そうやってクラブのベースというものが引き継がれていくんですね。逆にいえば、クラブのコンセプトがうまく継承されなければ安定した強さも発揮できません。2011年は鹿島にとって、タイトル奪還という結果だけでなく、3年、4年先を見据えたプロセスの出発点としていきたいところです。

“サブ組”に焦りは禁物!!

 日本代表が激戦を繰り広げたアジアカップは、まだ私たちの脳裏に焼きついています。1月8日からおよそ1カ月間の遠征を行っていた代表選手たちの疲労について、心配しているサポーターも多いのではないでしょうか。特に延長戦2試合も含め、最大で6試合を戦った選手にとってオフはほとんどなく、体調面で不安視される向きも多いようです。DFの要として全試合でフル出場を果たした今野泰幸(F東京)や中盤から攻守を支えた遠藤保仁(G大阪)の状態が気になるところでしょう。

 しかし、私はその点については心配していません。実は、あまり休みが取れないことは選手にとって苦にはならないんです。何ごともメリハリが必要であり、多く休みを取ればいいというものではありません。しっかりと休む時に休めば、短い期間であっても体はリフレッシュするものです。しかも彼らが戦ってきたアジアカップで日本は優勝という結果を残しました。同じ90分間、もしくは延長戦を含めた120分間戦った試合でも、勝利という結果が伴えば疲労度は全く違うものです。

 しかしながら、これは試合に出場していた選手に言えること。ベンチを温めることの多かった選手は非常に難しいコンディション調整を強いられていると思います。日本代表が戦った6試合で、サブ組の選手はいつ出番が来ても大丈夫なように、緊張感を持っていなければいけませんでした。つまり、心の休まることがなかったはずです。もちろん、彼らは試合に出ているわけではありませんから、90分間を戦うための試合勘を持つこともできません。さらに、試合の翌日などレギュラー組が休みであっても、サブ組も同じように休むことはありません。私もワールドカップ予選で経験しましたが、代表のサブというのは想像以上に負担の大きな仕事なんです。

 しかしながら、帰国してみればアジア王者の勲章があるだけに、周りの期待も大きい。「アジアカップをフルタイムで出場していないならば、クラブのキャンプも早期合流できるのでは」という目で見られてしまう。これは想像以上に厳しい条件なんです。いわゆる「ON」と「OFF」の切り替えがしづらいポジションにいたため、おそらく開幕当初はコンディションがなかなか上がらないでしょう。彼らには、焦らずコンディションを上げていってほしいですね。長いシーズンの中で、代表クラスの選手がクラブを牽引しなければいけない時は必ず来ます。シーズン序盤はじっくりと調子を上げ、長い目で1年を通した活躍ができるよう期待しています。

長友のステップアップは日本サッカー全体の成果

 長友佑都のインテル・ミラノ移籍にはみなさんも驚かれたことでしょう。アジアカップの活躍で株を上げたとはいえ、それまでは噂もなかった移籍です。本人ですら移籍直後には驚きのコメントを出していましたね。この移籍は日本サッカー全体の成果と言えるのではないでしょうか。1993年にJリーグが誕生して以降、各クラブが下部組織の保有をしたり、育成に力をいれたことが、サッカーの底辺拡大につながってきました。Jリーグ発足当時に日本代表監督だったハンス・オフトら海外の指導者の言葉を吸い上げて、選手が持たなければいけない資質や考え方、技術に及ぶまで吸収してきた結果といえるでしょう。

 長友の移籍が偶発的ではないということは、内田篤人(シャルケ04)が欧州チャンピオンズリーグで活躍したり、香川真司(ドルトムント)がドイツ・ブンデスリーガで注目を浴びていることが証明してくれていますよね。彼らはJリーグ開幕当初、小学校に上がるか上がらないかという年齢でした。物心ついた頃から日本にプロリーグのあった選手たちが、次々と世界へ羽ばたいているんです。

 長友の活躍は日本サッカーの考え方をワンランク上へと変えてくれる予感があります。A代表では長友のように、身長がなくてもスピードやスタミナで秀でている選手が活躍していますが、U−22やU−18といった年代別の代表に目をやると、どうしても大型選手が目立っています。「日本が世界で戦うには、フィジカルで負けない選手を育てなければ」というビジョンがあるからです。しかし、長友の活躍をみれば、それだけが世界に通用するサッカー選手を育成するための答えとは言えませんよね。身長がなくても、代わりの「何か」があれば通用する。内田にしても、上背はありませんしスピードも驚くようなものではない。彼のよさはタイミングよく攻撃に参加できること。スペースを作ることがうまい。そこに、欧州での激しい当たりに負けない強さが加わって世界でも戦える選手にステップアップしたんです。ザックジャパンの両サイドバックの躍進は、日本サッカーの未来を明るいものにしてくれています。彼らの今後の活躍からも目が離せません。

● 大野俊三(おおの・しゅんぞう)<PROFILE>
 元プロサッカー選手。1965年3月29日生まれ、千葉県船橋市出身。1983年に市立習志野高校を卒業後、住友金属工業に入社。1992年鹿島アントラーズ設立とともにプロ契約を結び、屈強のディフェンダーとして初期のアントラーズ黄金時代を支えた。京都パープルサンガに移籍したのち96年末に現役引退。その後の2年間を同クラブの指導スタッフ、普及スタッフとして過ごす。現在、鹿島ハイツスポーツプラザ(http://kashima-hsp.com/)の総支配人としてソフト、ハード両面でのスポーツ拠点作りに励む傍ら、サッカー教室やTV解説等で多忙な日々を過ごしている。93年Jリーグベストイレブン、元日本代表。

*ZAGUEIRO(ザゲイロ)…ポルトガル語でディフェンダーの意。このコラムでは現役時代、センターバックとして最終ラインに強固な壁を作った大野氏が独自の視点でサッカー界の森羅万象について語ります。


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