まずは今回の大震災でお亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈りします。そして被災された方々の1日も早い復興を願っています。
 地震発生時、私は支配人を務める鹿島ハイツスポーツプラザにいました。春休み前の平日でしたが、施設には合宿に来ている選手たちや、日帰りで入浴に来た一般の方々が多数いらっしゃいました。経験したことのない大きな揺れの中、第一に行ったのは施設内のお客様を安全な場所に避難させること。幸い、従業員も含めて全員の無事を確認できました。

 続いては施設内の安全点検です。その日はハイツに一晩泊まって、ガスや水道などの設備が稼働するかを確認しました。断水や液状化など、鹿島市周辺では被害が出ている中、おかげさまでハイツは利用可能な状況でした。早速、翌日からは断水でお風呂に入れなかった皆さんに、施設内の浴場を活用していただくことができました。

 素晴らしかったカズのゴール

 今回の震災では鹿島スタジアムや練習施設も被害を受けました。被災地である仙台ではクラブハウスが半倒壊し、クラブとしての活動がストップしてしまいました。加えて福島第一原発からは放射能漏れが発生し、東京電力管内での計画停電が実施されています。Jリーグの試合を4月下旬まで延期したのはやむを得ない判断でしょう。

 そんな中、29日に行われたのが、日本代表とJリーグ選抜によるチャリティーマッチです。電力的には問題のない大阪・長居スタジアムでの開催だったとはいえ、被災地ではまだ不自由な生活を強いられている方がたくさんいらっしゃいます。おそらく「今はサッカーどころじゃない」という気持ちの方もいらっしゃったはずです。ただ、この試合を通じ、「復興のためにみんなでひとつになるんだ」というサッカー界の大きなメッセージは発信できたのではないでしょうか。

 何よりアルベルト・ザッケローニ監督が招集した海外組の選手全員が、この試合のために帰ってきてくれたことがうれしかったですね。国際Aマッチでもないゲームに参加するのですから、これは各所属クラブの理解がなければ、絶対に無理な話でした。それだけ世界中が日本を心配し、力になろうと思ってくれている証拠でしょう。サッカーという競技によって、日本のみならず世界が復興に向けてひとつになっていることを実感できました。

 そして試合自体も単なるオールスターマッチではなく、見ごたえのある内容でした。特に「ドーハ組」のひとりでもあるカズ(三浦知良)のゴールは本当に素晴らしかった。決して日本代表のディフェンスも手を抜いたわけではなく、ベストを尽くした上でカズがそれを上回るプレーをみせたのです。それもこれもカズが44歳まで、たゆまずサッカーを続けていたからこそできたこと。カズに点を獲らせようとする選手たちの思い、そしてファンの願い、それに見事に応えたカズ――すべての要素が揃わなければ、生まれなかったゴールと言っていいでしょう。

 重視される判断の速さ、個の強さ

 そして日本代表が3−4−3の新システムを試した点も見逃せません。チャリティマッチといえども、そこからは日本の新しいサッカーのかたちが垣間見えた気がしました。ディフェンスラインをしっかりと保ちつつも、長友佑都、内田篤人が両サイドから縦へ鋭く突破する。そしてスピードを落とすことなくクロスやシュートを放つ。2点目となった岡崎慎司の裏への飛び出しによるゴールも、これまでの日本にはない速さがありました。

 今回のJリーグ選抜には元代表メンバーが多くスタメンに名を連ねていただけに、その違いはより鮮明だったと言えるでしょう。Jリーグ選抜がボールを細かくつなぎ、ビルドアップしていたのは、まさにこれまでの日本のサッカーです。しかし、これからは組織も大事だけど、個の能力やスピードも重視する。そんなザッケローニのメッセージが、あのゲームには込められていたように思います。

 対戦した選手たち、そしてテレビを通じて試合を観た他のJリーガーや関係者は、おそらくそのことに気付いたはずです。私も子供たちに指導をする上で、何を優先すべきか非常に考えさせられました。ザッケローニのサッカーに対応するには正確なボール回し、キックの精度は当然として、判断の速さ、個の強さをもっと磨かなくてはいけません。それができるのが、今の日本代表たちです。こういった選手をどんどん増やすことが、日本がW杯で上位を目指す上で必要なのだと改めて実感しました。

 Jリーグの再開は4月23日からと決まりました。まだ余震も続いており、被災地の皆さんは落ち着かない生活がこの先も当分、続いてしまうことでしょう。「まだスポーツどころではない」という思いも理解しなくてはいけない反面、だからこそ少しでもイヤなことを忘れるものをつくらなくてはなりません。そのひとつがスポーツであるなら、試合を行う意義はあると思います。たとえば、選抜高校野球では被災地の宮城・東北高が精一杯のプレーを見せてくれました。結果は初戦敗退に終わりましたが、その姿はテレビを通じ、多くの方を勇気づけたに違いありません。事実、私も勇気づけられました。

 震災を経て再開したリーグ戦は選手、サポーター、そしてサッカーに携わるすべての人々が、一丸となって復興への強いメッセージを発信するものになるはずです。僕も気持ちを同じくして、自分なりに日々できることに取り組んでいきます。

 思いは皆、ひとつです。
「がんばろう、日本!」
 
●大野俊三(おおの・しゅんぞう)<PROFILE>
 元プロサッカー選手。1965年3月29日生まれ、千葉県船橋市出身。1983年に市立習志野高校を卒業後、住友金属工業に入社。1992年鹿島アントラーズ設立とともにプロ契約を結び、屈強のディフェンダーとして初期のアントラーズ黄金時代を支えた。京都パープルサンガに移籍したのち96年末に現役引退。その後の2年間を同クラブの指導スタッフ、普及スタッフとして過ごす。現在、鹿島ハイツスポーツプラザ(http://kashima-hsp.com/)の総支配人としてソフト、ハード両面でのスポーツ拠点作りに励む傍ら、サッカー教室やTV解説等で多忙な日々を過ごしている。93年Jリーグベストイレブン、元日本代表。

*ZAGUEIRO(ザゲイロ)…ポルトガル語でディフェンダーの意。このコラムでは現役時代、センターバックとして最終ラインに強固な壁を作った大野氏が独自の視点でサッカー界の森羅万象について語ります。


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