プロ契約と社員契約 ~ホルヘ・ヒラノVol.9~

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 誤解を恐れずに書く――。

 

 海に囲まれ、ほぼ単一民族で長い時間を過ごしてきた“日本人”は、ちょっとした差異で人を区別しがちである。日本で育ち、日本語を話す在日朝鮮人に対してさえ、自分たちとは違うと外へ押し出そうとする。“日本人”とされる人たちは、朝鮮半島から日本海を、あるいは南西の島々から東シナ海を渡ってきた多様なルーツを持っているにも関わらず、である。

 

 また“白人コンプレックス”も特徴だ。第二次世界大戦敗戦の経験もあるだろう、白人の教師然たる人間に頭を下げて、教えを受けたがる。一方、同じアジア、特に浅く黒い肌をした東南アジアの人間を見下す。

 

 南米大陸の国々への対応も、ばらつきがある。

 

 ブラジルの影響を受けた日本

 

 サッカーにおいて、ワールドカップ第1回から連続して参加している王国、ブラジルへのリスペクトは強い。スペイン、イタリアからの白人移民が多いアルゼンチンがその後に続く。しかし、それ以外、白人と現地住民との混血――メスティーソが多い国は軽視されがちだ。ペルーもそこに入る。

 

 日本のサッカーは、元々はイングランド、西ドイツの影響を強く受けていた。その後、足技の優れたブラジル人たちが次々とやってきた。ペレのいた70年ワールドカップのブラジル代表の強烈な印象もあったろう、日本はブラジルの影響下に入ったのだ。

 

 読売クラブはその象徴だった。

 

 クラブチームである読売クラブは1部上場企業が抱える実業団サッカー部のように、安定した給料を払い続ける終身雇用という餌で選手を集めることができない。そのため、下部組織で若手の育成、そして積極的に外国人――ブラジル人選手を起用した。

 

 この時点で日本リーグは「プロ契約」を正式には認めていなかった。しかし、ブラジル人を含めた読売クラブの選手たちは実質的なプロ契約選手だった。ホルヘ・ヒラノのいたフジタサッカー部でも、ブラジル人のカルバリオは、プロ契約を結んでいた。

 

 しかし、ペルー人のヒラノ、エミリオ・ムラカミは期限付きの契約社員という扱いだった。

 

「1年目は月10万、11万円ぐらい。2年目は少しあがったかな。ぼくたちは社員扱いだったので、毎朝、会社に“出勤”しなくてはならなかった。カルバリオは全く別契約だった」

 

 ペルーは日本よりもサッカー文化が深く社会に浸透している。今ほどの高給ではなかったにせよ、プロサッカー選手は職業として成立していた。日本のサッカーに慣れるうちに、なぜ自分たちはプロ契約ができないのか疑問を持つようになった。

 

 日本での2年目となる81年シーズン、フジタの監督は石井義信から中村勤に代わった。第1節のホンダ戦、中村は、ヒラノ、ムラカミを先発起用しなかった。シーズン前、中村はサッカーマガジンの取材に対して、「ヒラノ、ムラカミの使い方について迷っている」と明かしていた。第2節の古河電工戦でヒラノは途中出場、第3節のマツダ戦でヒラノは1得点を挙げて2対0で勝利し、ここから勝利を積み重ねるようになった。

 

 前期を終えて、6勝0敗3分と2位の読売クラブに勝ち点3差をつけ首位に立った。

 

 サッカーマガジンは後期の展望として、読売クラブのブラジル人選手、フイ・ラモスが骨折で欠場と書いた上でこう続ける。

 

 自分たちの評価は正当か?

 

<初戦から突っ走りたいフジタは故障もなく余裕をもった調整。中国遠征の最終戦(9月9日)では、北京で中国代表チームと戦い2-1の勝利。単独チームで飾ったこの白星は、各選手に大きな自信となった。

 中村監督は「3ポイント差と言っても無いも同然、同じ条件でスタートする気だ」と、監督就任後の初優勝に慎重な構え。手塚、平野、上田、小滝といった強力FW陣に、ペルー帰りの吉浦の急成長を加味すれば得点力もアップ。前期以上の“強いフジタ”でスタートを切りそう>

 

 同じ号のグラビアページでは、ヒラノとムラカミの二人を大きく取りあげている。

 

<JSL前期を首位で折り返し、3度目の優勝を狙うフジタ。そのアタックラインを引っぱるのが、ホルヘ平野とエミリオ村上のペルー人コンビだ。昨シーズン後期からJSLに登場、華麗なテクニックと最後まで走り抜くスピリットはすぐに注目を集めた。ことしの前期はじめ、彼らをスターティング・メンバーから外したフジタは得点力不足に悩み、彼らを入れてやっと攻撃陣が揃った。いまやフジタに欠くことのできない2人なのだ>

 

 しかし、フジタは“欠くことのできない2人”とは考えていなかったようだ。

 

 プロのフットボーラーはピッチの中での貢献を、金銭の多寡で示されると考える。自分たちが正当に評価されていないというヒラノとムラカミの不満は次第に大きくなっていった。

 

 81年シーズン、フジタは3度目の優勝を果たしている。シーズン終了後の12月、ヒラノとエミリオはペルーに帰国した。来季、日本に戻ってくるかどうか、ヒラノはまだ決めていなかった。 

 

(つづく)

 

 

田崎健太(たざき・けんた)

1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。

著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日-スポーツビジネス下克上-』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2018』(集英社)。『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)、『真説佐山サトル』(集英社インターナショナル)、『ドラガイ』(カンゼン)、『全身芸人』(太田出版)、『ドラヨン』(カンゼン)。「スポーツアイデンティティ どのスポーツを選ぶかで人生は決まる」(太田出版)。最新刊は、「横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか」(カンゼン)

代表を務める(株)カニジルは、鳥取大学医学部附属病院一階でカニジルブックストアを運営。とりだい病院広報誌「カニジル」、千船病院広報誌「虹くじら」、近畿大学附属病院がんセンター広報誌「梅☆」編集長。

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