インドアからビーチへ――。昨年、一人のバレーボーラーが大きな決断を下した。大山未希、25歳だ。小学1年からバレーボールを始め、常に全国トップレベルでプレーしてきた彼女の道のりは、ある意味、順風満帆だったといっても過言ではない。「優勝経験なら誰にも負けない」と自負するほどの実績を誇り、2004年に入団した東レ・アローズでも2年目から転向したセッターとして着実に力をつけてきた。昨季はチーム3連覇に大きく貢献し、自らも大きな自信を得たという。そんな彼女が昨年5月、ビーチバレーへの転向を発表した。“突然”とも思える出来事だったが、彼女にとってそれは考え抜いての勇断だった。
「小さい頃から全日本への憧れはありませんでした」
 小学校時代から全国制覇の街道を走り続けてきた彼女の隣には、常に1つ上の姉・加奈がいた。そして中学、高校では1学年上に荒木絵里香、栗原恵、そして1学年下には木村沙織と、今や全日本女子の主力として活躍する面々がチームメイト、ライバル校のエースとして存在した。こうした環境の中にいた大山が、「自分も全日本に入って、オリンピックに出たい!」と思ったとしても何ら不思議なことではない。逆に自然な流れと言ってもいいだろう。ところが、彼女にその気持ちがわくことはなかった。
「自分でもなぜだか不思議なんです。周りはみんな小学生の頃から将来の夢に『全日本に入りたい』と書いていたのに、私はというと普通に『ケーキ屋さんになりたい』なんて書いていたくらいなんです(笑)」

 そんな大山が初めて全日本を意識し、本気で目指したのは社会人になってからのことだった。04年に東レに入団した大山は2年目のシーズン、当時のコーチからセッターへの転向を提示された。「目立つことが大好き」という大山にとって、最もスポットライトが当たるアタッカーから、いわゆる縁の下の力持ち的なセッターへの転向は正直、もどかしくもあった。しかし、同時に「本格的にセッターをやってみたい」という気持ちも芽生えていた。
「『日本はこれから大型セッターを育てる』と言われていたので、自分が頑張れば、もしかしたら全日本に選んでもらえるかもしれない」
 そんな期待感が彼女をセッターへの道へと歩ませたのだ。大山は全日本初の“スパイクも打てるセッター”を目指し始めた。

 それから5年目の昨季、大山はようやくセッターとしての自分に自信をもち始めていた。10年3月、チームはレギュラーラウンド2位となり、3連覇に向けてファイナルラウンド進出を決めていた。ちょうどその頃、日本バレーボール協会から全日本女子チームの登録メンバーが発表された。大山には、同期の中道瞳とともに司令塔としてチームの勝利に貢献しているという自負があった。だからこそ、全日本入りにも「今回こそは」という期待感が心の奥底に芽生えていた。しかし、無情にもそれは潰えた。33人の登録メンバーに「大山未希」の名前はなかったのだ。「ビーチバレーに転向しよう」。大山の気持ちは固まった。

 姉妹それぞれの“第2の人生”

 実は、大山は以前からビーチバレーへの転向を考えていた。幼少時代から親しい草野歩と遊びでやったことがきっかけとなり、ビーチバレーに興味を抱くようになっていたのだ。加えて周囲からの勧めもあった。アタッカー、セッター、リベロとあらゆるポジションをこなしてきた彼女は、スパイク、トス、レシーブ、いずれもソツなくこなすオールラウンダー。そんな彼女にビーチバレーこそが適任と言う人も少なくなかったのだ。ビーチバレーに転向するということは、当然、五輪出場が目標となる。ロンドン五輪を目指すには少しでも早い方がいい。大山は2009−2010シーズンが始まると「今季限りでの引退」を本気で考えていた。だが、この時点ではまだ最終的な決断は下してはいなかった。全日本に選ばれた場合は、それこそ本気でロンドン五輪を目指そうと考えていたからだ。しかし、前述したようにそれは叶わなかった。

「昨季は自分でも自信をもってプレーすることができました。それでも全日本に入ることはできなかった。でも、東レのみんなからも『今回は(全日本に)選ばれてもよかったのにね』と言ってもらいました。一番近くで見ていてくれた人たちに自分が認めてもらえた。もう、それだけで十分。悔いはありませんでした。だから、気持ちよく『今度はビーチバレーで頑張ろう』と思うことができました」
 大山にもう、インドアへの未練はなかった。

 昨年5月、大山は東レからの退団を発表した。すると、その約1カ月後には姉・加奈の現役引退のニュースが飛び交った。時期が重なったのは全くの偶然だった。小学校時代からずっと同じチームでプレーし、いつも一緒だった姉とは仲のいい姉妹としても有名だった。しかし、昨季は故障で思うようなプレーができずに悩んでいた姉とは、何カ月もほとんど話をしなかったという。そんなある日、久しぶりに姉妹そろって舞台を観に出かけた。シーズンも終盤に入った2月のことだった。そこで大山は姉にビーチバレーに転向しようと思っている旨を伝えた。すると姉は「わかってたよ」と言った。そして大山もまた、引退を決意したという姉に「うん、わかってたよ」と返した。口に出さなくても、姉妹はお互いをよく理解していた。

 そんな会話をした日から、約1年が経った。現在、大山はインドアとの違いに苦戦しながらも、ビーチバレーに勤しんでいる。だが、いつも隣にいた姉はもう一緒にコートに立つことはない。
 ―― 初めて別々の道を歩み始めたことについては?
「よく聞かれるのですが、違う道といっても、姉と対戦するわけではありませんし、それほど意識はしていないんです。姉は『ビーチバレーは未希に合っているよ』と応援してくれていますし、私もバレー教室などでいきいきと活動している姉を見て心から良かったなと思っています」
 それぞれが選んだ“第2の人生”に、大山姉妹は互いにエールを送り合っている。

 バレーボール界でも1、2位を争うほど色白だった大山の肌も、今では周囲が驚くほどこんがりと焼けてきた。今季からは同じインドア出身の菅山かおるとペアを組むことが決定した。2月初めには沖縄で初合宿を敢行。お互いに「インドア出身者だからこそわかりあえることも多い」と感じたという。現在は米国・ロサンゼルスで長期合宿を張り、シーズンに向けてのトレーニングを行なっている。ロンドン五輪まで約1年。自称“姫・王子ペア”の挑戦がいよいよ始まる。

(後編につづく)

大山未希(おおやま・みき)プロフィール>
1985年10月3日、東京都生まれ。グランディア所属。小学1年からバレーボールを始め、5年、6年時には全日本バレーボール小学生大会「ライオンカップ」で連覇を達成した。成徳学園中学では2年時に全国都道府県対抗中学大会「さわやか杯」で優勝。3年時には東京選抜に選出され「アクエリアス杯」で優勝した。さらに成徳学園高校(現・下北沢成徳高校)では1年時からレギュラーを獲得。3年間で通算6冠(春高バレー・インターハイ・国民体育大会)を達成した。2004年に東レ・アローズに入団し、2年目にはセッターに転向。昨季はリーグ3連覇に大きく貢献した。昨年5月に退団、ビーチバレーへの転向を発表した。2012年ロンドン五輪を目指し、今季より菅山かおる(WINDS)とペアを組む。179センチ。

(斎藤寿子)
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