昨季14勝(7敗)をあげた北海道日本ハムファイターズのサウスポー武田勝のスライダーは右バッターの懐めがけて猛禽のように襲いかかってくる。巨人の坂本勇人によると、外に向かっていたボールが急に角度を変え、ジャックナイフのように懐をえぐるというのだ。それとは別にホームベースの外からアウトコースめがけて切れ込ませるものもある。
 驚愕のデータがある。昨季、彼は左バッターに3割1分1厘も打たれているのに対し、右バッターにはたった2割3分しか打たれていないのだ。多くの右バッターが独特の曲がりをみせるスライダーに手こずった何よりの証拠だ。
 この国のプロ野球におけるスライダーの元祖といえば、球界初の完全試合を達成した藤本英雄である。藤本がスライダーをマスターしたのはひょんなことがきっかけだった。
 巨人から中日に移籍した1947年、藤本は肩を痛め往年の剛速球はすっかり影をひそめていた。翌年、巨人に復帰したものの不遇をかこっていた。

 ある日、同じように肩痛に苦しんでいた三塁手の宇野光雄と互いを慰め合うように、グラウンドの隅でキャッチボールをしていた。と、突然、宇野が目を丸くして叫んだ。「な、なんだ今のボール!? 妙な回転をしたぞ。おい、もう一度、投げてみろ!」
 言われるままに藤本はボールの握りをずらし、リリースの瞬間、中指に力を込めた。ボールは宇野のグラブにスッと横滑りしておさまった。これが、この国におけるスライダー誕生秘話である。種明かしをすれば“ケガの功名”だったのだ。

 実は武田勝のスライダーもまた“ケガの功名”である。彼の左腕は“くの字”に曲がっている。アマ時代、何度も故障を繰り返しているうちに欠けた骨が固まり、ヒジのかたちが変形してしまったのだ。
 武田勝は語る。「これが僕にはよかった。ヒジをロックしたまま腕が振れることでスライダーが独特の変化をするようになったんです」。まったく、人生、何が幸いするかわからない。

 前へならえ、の姿勢もできない変形しきったヒジがつくり出す独特の軌道。ハンディキャップをアドバンテージに変えた不屈の精神。“くの字”に曲がったままの左腕(ひだりうで)に32歳の静かなる反骨を見る。

<この原稿は11年3月9日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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