2006年5月15日、フランスリーグ終了後、松井は日本に帰国した。ちょうどこの日、日本サッカー協会で、ドイツW杯の登録メンバーが発表されることになっていた。
 4年に一度のワールドカップはサッカー選手ならば誰でも出たいと思う大舞台である。松井は、自分が当落線上の選手であることを自覚していた。
 優勝したアジアカップ、出場権を得たW杯予選には貢献していない。しかし、欧州のトップリーグで結果を残している数少ない選手であるという自負もあった。

 当落に関係なく、メンバー発表は見ないつもりだった。ところが、空港からホテルへは予想よりも早く到着してしまい、手持ちぶさたな時間ができてしまった。
――生中継で、ジーコが発表するみたいですよ。見ませんか。
 出迎えに来てくれた人間が口に出した。
 誰がW杯に出場するのか。日本中が注目していた。サッカーに関わっている人間はみなこの日の会見を楽しみにしていた。松井が滑り込みで代表に入るだろうという希望もあった。
 松井は、それでも見ないとむきになる男ではない。仕方がないと部屋のテレビをつけた。
 日本代表のチームカラーである青色で飾り付けられた壇上にサッカー協会会長の川淵三郎とジーコがあがっていた。
 まずは川淵が口を開いた。
「30分ほど前にジーコ監督と別室でお会いしたのですが、“メンバーは?”と聞くとジーコ監督は白紙を掲げて“まだ書いていない。奥さんにも言っていない。もし事前に知りたいのなら、ここで書き始める”と言われたのですが、私自身は“いや、それは一切、教えてほしくない”と。ファンの皆さま、メディアの皆さま、日本中の皆さまと同じような緊張感をもって、その発表を見守りたいと思います」
 川淵の軽口にジーコは微笑んだ。
「それではリストを発表します」
 ジーコはいつもの甲高い声で名前を呼び始めた。
「カワグチ、ドイ、ナラサキ、カジ、コマノ、ナカザワ、ミヤモト、ツボイ、タナカ」
 ゴールキーパー、そしてディフェンダーの名前が続いた。
「アレックス、ナカタコウジ、フクニシ、イナモト、ナカタヒデ、オノ、オガサワラ、エンドウ」
 遠藤の名前を聞いた瞬間、松井は駄目だと思った。
 「ナカムラ、タカハラ、オオグロ、ヤナギサワ、タマダ……マキ」
 巻の名前で会場がざわめいた。
 自分の名前は入っていなかったことに、思っていたほど悔しさはなかった。気が抜けた気持ちだった。
(もし選ばれたとしても、レギュラーではない。練習だけして試合に出られないのは悔しい。シーズンが終わって、今は身体を休める時期だ。サッカーを忘れて、次のシーズンに備えることにしよう)
 松井は、そう思い込むことにした。

 日本代表の初戦、オーストラリアとの試合の日、松井は地元・京都の居酒屋に出かけることにした。テレビがないところに身を置きたいと思ったのだ。
 しかし、そうはいかなかった。
 店員が、「日本に1点入りましたよ」と点数が入るごとに教えてくれた。これがワールドカップなのだと松井は重みを改めて感じた。
 日本代表は、オーストラリアに逆転負けした。ああ負けたんだという思いだった。
 バカンスなんだから、サッカーは忘れる――つもりだったが、すぐ無性にボールが蹴りたくなってきた。中学時代の恩師がサッカー部の顧問をしている高校の練習に混じってみた。やはりサッカーは楽しいのだ。

 結局、日本代表の試合は1試合も見なかった。日本代表だけでなく、ワールドカップ自体を見なかった。
 日本代表は、クロアチアとは引き分けたものの、ブラジルに負けて、2敗1分でグループリーグ敗退した。
(写真:フランス代表はワールドカップで準優勝に終わった。やはり「ジダン」の力だった)

 ブラジル戦の後、ある日本代表選手に電話を入れる気になった。
「松井ですけれど」
 名前を名乗ると、一瞬沈黙があった。
「おおっ」
 中田英寿だった。中田は松井の番号を登録していなかったので、気が付かなかったのだ。
「お前、これからがんばれよ」
 おかしな激励の仕方だなと松井は首を傾げた。
「ありがとうございます。4年後、一緒にがんばりましょう」
「俺辞めるから」
「へっ?」
「引退するんだよ」
「いやいや冗談でしょ?」
「本当だよ」
 松井は、試合を見ていなかったので、ブラジル戦の後、1人でピッチに伸びていた中田の姿を見ていなかったのだ。
 中田が自身の公式ホームページで引退を表明したのを見て、本当だったのだと驚いた。

 フランスに戻ると、チームの合宿が始まった。フランス人選手たちは、バカンスの間は全くトレーニングをしていない。この合宿で、1シーズン戦える身体に作り直すのだ。1年で一番きつい時期だった。松井は無我夢中で地味なトレーニングに励んだ。
 日本代表監督はジーコからイビチャ・オシムになった。
 オシムはインタビューで松井の名前をしばしば出していると日本から連絡があった。フランスでの自分のプレーを見ていてくれたのかなと嬉しかった。
(写真:松井の背番号「22」はルマンのユニフォームでも人気の番号である。それだけ彼は認められているのだ)

(続く)

田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクションライター。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、出版社に勤務。休職して、サンパウロを中心に南米十三ヶ国を踏破。復職後、文筆業に入り著書多数。現在、携帯サイト『二宮清純.com』にて「65億人のフットボール」を好評連載中(毎月5日更新)。2010年2月1日『W杯に群がる男達−巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)を刊行、さらに4月『辺境遊記』(絵・下田昌克、英治出版)を刊行。






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