評価一変 森保Jの象徴は「救世主」彩艶
試合前の国歌吹奏。中国人が君が代にブーイングを浴びせたのはこれが初めてではない。その醜悪さでいったら、20年前、ジーコを憤慨させたアジアカップのときの方が上だった。
ただ、あのとき、中国人の蛮行を問題視したのはほぼ日本だけだった。今回は、違う。20年前とは比べ物にならないほどの多くの国の人々が、中国人が君が代にブーイングをし、レーザーで鈴木の目を狙う場面を目撃した。歪んだ愛国心の発露によって、中国人は世界各国に自国に対する嫌悪感を植えつけることに成功した。一度張らせてしまったレッテルを剥がし、野蛮な印象を覆すのは簡単なことではない。
さて、試合単体で見れば、率直に言って評価するところのほとんどない試合ではあった。南野は? いなかった。久保は空回りが目立った。伊東も中村も、今後の先発起用を考えたくなるようなできだった。合格点をつけられるのは遠藤と小川ぐらいで、もしこの試合のみをもって、来たるべきW杯本大会の予想を求められたとしたら、「1次リーグ敗退」と答えるしかない。
なぜこの試合はこんなにも低調だったのか。端的に言えば、守田と鎌田がいなかったから、だった。遠藤が「負けないため」に必須なMFだとしたら、守田と鎌田は「勝つため」に必要不可欠な選手。その2人を休ませたことで、この日の日本からは攻撃の連動性が大幅に失われた。
ただ、収穫はあった。
後半の途中まで、わたしにとって日本のワーストプレーヤーは田中だった。ピッチの幅が狭いなど、いろいろな理由はあったのだろうが、自分の居場所を見つけられないままプレーしているように見えた。
ところが、鎌田が入った途端、印象は激変した。つまり、南野とでは輝けない田中は、鎌田とならば化学反応を起こせること、発光できることがわかった。三笘との間に特別な関係があることも感じられた。守田がいなくとも、日本の中盤に連動性が生まれることがわかった。
この収穫は、大きい。
遠藤と守田が日本の頭脳であり心臓部であることは、もはや多くの国が知るところになった。そして、これまでの田中は、2人を脅かすようなプレーを見せられていなかった。相手からすれば、研究と分析の対象を2人に絞ることができていた。
だが、試合中に見せた劇的な変化によって、田中はバックアップの立場から、一段上に上がった。個人的には、今度は遠藤のいない中盤を守田と支える田中も見てみたくなった。
この勝利によって日本の勝ち点は16。3位との勝ち点差は10に広がった。アジアのレベルが低いから、という方もいるが、勝って当然の相手に勝ち続けるのは決して簡単なことではない。欧米メディアの中からは、来たるべきW杯本大会において、日本は「ベスト4に進出できなければ失敗と見なすべき」といった声まで出てきている。1~2月のアジア杯でベスト8止まりだったチームに対して、である。
長いことサッカーを見てきたが、正直なところ、こんなにも短期間に、こんなにも評価を一変させたチームというのはちょっと記憶にない。なぜ日本はこんなにも変わったのか。
わたしの答えは、鈴木である。
1月の鈴木は、日本の弱点だった。11月の鈴木は、日本の救世主となっている。一人の守護神の急成長の度合いが、日本の変化とほぼ一致しているようにわたしには思える。
<この原稿は24年11月14日付「スポ-ツニッポン」に掲載されています>