国籍変更選手 国歌を歌うのが団結への一歩に
サンドロ・ヒロシ、ホドリゴ・タバタという名前をご存じの方が、どれだけいらっしゃるかどうか。
彼らは、日系ブラジル人である。そして、W杯日韓大会前後に、日本代表入りが取り沙汰された選手だった。ラモスや呂比須の国籍変更とその成功により、“日本在住のブラジル人”に限られていたメディアやファンの関心は“ブラジル在住の日系人”にまで広げられた。彼らが加わってくれれば日本はもっと強くなる、そんな期待が確実にあった。
15日に日本と対戦するインドネシアには、15人もの国籍変更選手がいる。そのことを揶揄する声もあるようだが、それがいかなる未来につながるかはともかくとして、ある意味当然のことだと個人的には思っている。彼らがやったことはかつての日本人がやりたかったこと、やろうとしたことと何ら変わるところはないからである。
ただ、日本がやらなかった、あるいはやれなかったことをやったことで、インドネシアは日本が知らない悩みを抱え込んだ。それが、12日付の本紙に掲載されていた現インドネシア在住、呂比須の危惧である。
母国を知らない選手たちが何を背負って戦うのか。苦しい時期に陥ったときの一体感はどうなるのか――。
ラモスは、呂比須は、日本で生活をし、日本語を理解していた。ブラジルで取材したサンドロ・ヒロシには、日本語がほぼ通じなかった。彼は日本代表入りを熱望していたが、それは、ブラジル代表になる可能性がほぼないから、でもあっただろう。絶望的だったW杯でプレーする可能性が突如として目の前に出現したのだ。気持ちはわからないでもない。
では、誤解を恐れずにいえば打算にも近い形で代表を選択した選手たちに、いかにして一体感を持たせればいいのか。
答え、というか、ヒントになりそうなのはラグビーのやり方である。
サッカーとは国籍に関するルールが異なることもあり、ラグビーの日本代表には多数の外国人選手が名を連ねている。中には、日本語を理解しない選手もいる。そんな選手たちに一体感を持たせるために、帰属意識を持たせるために、何がなされたのか。
そのひとつが、全員で君が代を歌うこと、だった。
ただ言葉を諳んじるだけではない。英語の得意な選手が歌詞を英訳し、意味を理解させたうえで試合前の君が代を歌うようにした。教える作業が、少しずつ壁を壊していった。
かつて、悪名高きアパルトヘイトで知られた南アフリカは、マンデラ大統領の就任後、新しい国歌を導入した。コサ語、ズールー語、ソト語、アフリカーンス語、英語の5言語で構成されたこの国歌を、スプリングボクスの選手たちは全員が歌うようになった。歌うことで、白人層のためのスポーツだったラグビーが、国民全員のものになったことを証明していった。
もちろん、国歌を歌うだけですべての問題が解決されるはずはないし、同じように「神よ、アフリカに祝福を」を歌う南アフリカのサッカーは、アフリカ予選すら勝ち抜けずにいる。
それでも、15日の夜、わたしはインドネシアの国歌吹奏に注目したい。血脈はともかく、異なる文化圏で育った選手たちが、いかなる表情で「インドネシア・ラヤ(偉大なるインドネシア)」を聞くのか、歌うのか。試合がもつれるか、それとも一方的なものになるかは、そこである程度、予測できるような気がするのだ。
<この原稿は24年11月14日付「スポ-ツニッポン」に掲載されています>