第803回 三浦大輔の「迷ったら動くな!」
「迷ったら動け!」
常々、そう口にしていたのが6年前に他界した星野仙一だ。
<この原稿は2024年12月2日号『週刊大衆』に掲載されました>
2度の監督を含め、現役時代から中日一筋だった星野の心が揺れたのが、中日の監督を退任したばかりの2001年のオフ。4年連続最下位に沈んだ阪神から監督を打診され、迷った末に引き受けた。
1年目こそ4位だったが、2年目の03年にはチームを18年ぶりのリーグ優勝に導き、星野は名将の仲間入りを果たした。
阪神のシニア・ディレクター時代の10年オフには東北楽天の三木谷浩史オーナーから口説かれ、迷った末に応諾した。
就任3年目の13年、創設9年目にしてチームを初のリーグ優勝・日本一に導き、星野は三原脩に続くNPB3人目の3球団優勝監督となった。
逆に「迷っても動くな!」で成功を収めた監督もいる。レギュラーシーズン3位から勝ち上がり、球団としては26年ぶりの日本一を達成した横浜DeNAの三浦大輔監督だ。
入団17年目の08年オフ、球団に不満を抱えていた三浦はFA権を行使した。自由の身となった三浦に触手を伸ばしたのが阪神だった。
奈良県出身の三浦は少年の頃から“トラ党”で、甲子園では父親とともに六甲おろしを歌っていた。
「野球人生の最後の方は、生まれ故郷の近くで野球をやるのが親孝行だと思っていました」
その一方で、ベイスターズにも恩義を感じていた。
「僕を育ててくれた球団やし、98年の優勝は僕の野球人生で最大の思い出。だから最後は自分に問いかけたんです。“オマエは何がやりたいんや”って……」
迷った末に三浦は古巣と再契約する。すなわち「動かない」ことを選んだのだ。
「僕は高校時代から“強いところに勝ちたい”一心で野球をやってきた。プロに入ってからも巨人や阪神を倒して優勝したい。それが自分の原点やないか。目の前の霧が晴れた瞬間でした」
あの時、阪神に移っていたら、今の三浦はない。