第804回 トミー・ジョン手術の50年
MLBで2年連続3度目のMVPを受賞した大谷翔平(ドジャース)はトミー・ジョン手術(側副じん帯再建術)だけで2018年、23年と2回受けている。この秋にはヤンキースとのワールドシリーズで痛めた左肩の手術を受けた。
<この原稿は2024年12月23日号『週刊大衆』に掲載されました>
「ピッチャーは肩かヒジにメスを入れたら終わり」
そんな時代を知る者にとっては隔世の感がある。
トミー・ジョン手術の生みの親は、米国の整形外科医フランク・ジョーブ博士。10年前に他界した際にはMLBのバド・セリグ・コミッショナーが「野球界の医療に改革をもたらした偉大な紳士」との追悼文を寄せた。
術式に名を刻むトミー・ジョンは1960年代から80年代にかけてMLBで活躍したサウスポー。ドジャース時代の74年に左ヒジの腱を断裂したが、チームドクターだったジョーブ博士が考案した腱の移植手術により、奇跡の復活を遂げた。通算288勝のうち164勝が、手術後にあげたものである。
日本人で初めてトミー・ジョン手術を受けたのは、ロッテで通算215勝をあげた村田兆治。ロサンゼルスでジョーブ博士が執刀した。83年8月のことだ。
村田は「自分の中では手術前の156勝より、手術後の59勝の方が価値があると思う」と語っていた。手術後は、日曜日の先発が指定席となり“サンデー兆治”と呼ばれた。
もしジョーブ博士がもう少し早く生を受け、この術式を発明していたら、日米ともに野球の歴史は変わっていたことだろう。
たとえば「権藤、権藤、雨、権藤」との流行語まで生み出した中日の権藤博。61年=35勝、62年=30勝と、2年連続で30勝以上をマークしたものの、投げ過ぎがたたって肩とヒジを痛め、通算82勝で終わった。
もし60年代前半にトミー・ジョン手術があれば、権藤は200勝はおろか300勝していたかもしれない。
ちなみに大谷の担当執刀医であるニール・エラトロッシュ医師も、ジョーブ博士の弟子のひとりである。