世界中の人々の標になり得る羽生結弦の“Echoes of Life” ~Yuzuru Hanyu ICE STORY 3rd TOUR~
2024年~25年「Yuzuru Hanyu ICE STORY 3rd “Echoes of Life” TOUR」埼玉公演がプロフィギュアスケーター羽生結弦の誕生日(30歳)である12月7日から、さいたまスーパーアリーナ(さいたま市内)でスタートした。2部構成の公演で、羽生はメインストーリーで12演目、アンコールで代名詞「SEIMEI」など3演目を披露。会場に足を運んだ1万4000人に「命とは」「わたしとは」などのテーマを問いかけた。埼玉公演は、9日、11日と同アリーナで続く。25年1月には広島公演(広島市内、広島グリーンアリーナ)、2月には千葉公演(船橋市内、LaLa arena TOKYO-BAY)が予定されている。
このアイスストーリーは、事前収録した映像とナレーションと羽生がリンクで滑るフィギュアスケートを交互に組み合わせて成り立つ。SF風の構成となっている。
羽生が演じるのは、元々孤児だったが遺伝子を操作され、能力に専門性を持って生まれてきた「造られしもの」VGH-257 Nova。世界さえも破壊しかねない恐ろしい兵器であり、文字や起きた現象などを音で認識できるキャラクターだ。
建物は破壊され、荒れ果てた地を眺めているNova。すると、けたたましい銃声音などが響く。この世界で戦争が行なわれていたこと、その果てに生物が全滅したことを音で認識した。VGH-257 Novaには世界中の憎悪の声が聞こえてきた。これらを消し去ることが正義と考えた。また、何万何千人の兵士たちが向かってくる描写もあった。彼は自らの恐ろしい能力を発動させてしまった。
筆者は「11秒かけて息を吐き、7秒かけて息を吸う」というセリフに恐怖を覚えた。2と9の足し引きの数字が11と7だからだ。257や29の数字を見れば、歴史を知る我々は、恐怖を連想してしまう。
戦いに勝利し、「よかった」と一瞬思うが、すぐさま「よかった?……のだろうか」と疑問を持つ。以降は、より「命とは」「役割とは?」「わたしとは」といった疑問が強まった。「いまなら、できる」と何が大切なのか気づくような描写や、“愛の言葉”に触れ、自らが変わろうとする物語だ。
「皆さんなりの哲学を」
羽生は、初日公演後にこう語った。
「元々自分は生命倫理について小さい頃から、いろいろ考えていました。そして大学で履修したりする中で、“生きる”という哲学についてすごく興味を持っていました。そこから、自分の中でぐるぐるとしていた思考をもとに、理論を勉強し直しました。皆さんの中でも、この世の中だからこそ、“生きる”ということについて、皆さんなりの答えが出せたり、哲学ができるような公演にしたいと思い、このEchoes of Lifeを作りました」
羽生演じるNovaが世界でひとりぼっちになり、「命とは」「わたしとは」と、”問いの深み”にはまっていった。もしかすると、“他者”がいてくれて初めて“わたしという自己”を認識できるのではないか。ならば、わたしは他者に感謝しなくてはいけないのではないか。
世界中のみんながみんな、周囲の人に敬意や感謝の念を持って生活し合えれば、それが“共鳴”し、他者の心身を傷つけたり破壊したりする行為はなくなるのではないか。そういったことを、羽生のアイスストーリーから感じ取れた。
他者を蔑ろにし、淘汰し、排除することは、かえって自己を見失うことに近付いてしまう。我々は、強烈な「光」と「音」により、一瞬で全てを無にされる恐ろしさを歴史から学んでいる。加えて言えば、天災が多い日本に住む我々は、壊れていく悲しみを知っている。天災は自然が引き起こすことだが、人為的な「光」や「音」による破壊は切な過ぎる。
母国語は違っても言葉という「音」を発することのできる人間は、世界中には少なくないはずだ。「音」による破壊ではなく、対話という「音」で何かを築くべきだ。禍々しい「光」による破壊ではなく、心を込め合った希望の「光」でいまと未来を照らし合うべきだ。
優しい青年が、“平和の祭典”で獲得した2つの金メダルで得た説得力を使って、世界に訴えている。羽生結弦のEchoes of Lifeは世界中の人々の、心の標になり得る物語と言っても過言ではない。
((((文/大木雄貴))))