第1172回 「ゴールデン・アットバット」は“ルールドーピング”
この話題に最初に接した時は『黄金バット』の米国版でもできるのか、と思った。野球に関する話だと聞いて、目が点になった。
その名も「ゴールデン・アットバット」。これは打順にかかわらず、監督が好きな打者を、好きな場面で、一度だけ打席に立たせることのできる新ルール。11月のMLBオーナー会議で俎上に載せられたという。ロブ・マンフレッドコミッショナーが、自らが出演したポッドキャスト番組で明らかにした。
もし、このルールが採用されれば、2、3点リードされていて長打が欲しい時には長距離砲を、1点を争う場面では、勝負強いクラッチヒッターを起用することになるだろう。代打を専業とする者にとっては死活問題だ。
現在のところ、この新ルールに賛意を示す者は少ないと聞く。しかし、一笑に付すわけにはいかない。というのも、MLBでは興行振興策として、非伝統的政策を導入してきたことが過去にあるからだ。
その代表例がア・リーグが1973年に導入した指名打者(DH)制度。当時、ア・リーグは“投高打低”により観客動員数が伸び悩み、その打開策を探っていた。マイナーリーグでの試験運用の評判がよかったことで導入に踏み切ったわけだが、9人制が基本の野球が10人制に変わることへの反発は根強く、「アナザー・ゲーム」と見下す関係者も少なくなかった。だが今回の「ゴールデン」はDH制より、はるかに野心的で筋が悪い。
「ナショナル・パスタイム」(国民的娯楽)を自認するMLBだが、米4大スポーツの売上比較(スポーツ庁=21年)を見ると、NFLの約1兆8900億円、NBAの約1兆1000億円に次いで第3位の約1兆500億円。立場的にはチャレンジャーだ。マンフレッドによると先の「ゴールデン」は「話題に出てきたアイデアのひとつ」。実はもっととんでもない提案があったかもしれない。
「日本野球の父」と呼ばれる社会主義者で、早稲田大学野球部創設者の安部磯雄は、打順に名を連ねていれば順番に打席が回ってくる野球の「平等主義」に日本のあるべき未来の姿を重ねていたといわれる。野球は「人に仁を教ゆるもの」。安部の言葉だ。
さて、ここから先は私見。昨今の米国は次期大統領のドナルド・トランプしかり、盟友のイーロン・マスクしかり。「平等主義」どころか「民主主義」にさえ苛立ち、うんざりし、厄介者扱いしようとしているように映る。ゆえに「無理が通れば道理が引っ込む」と批判されるような強引なやり方でも、一切意に介さない。交渉事は「ルールよりもディール」優先のようだ。
こうしたパワーエリートたちの立ち居振る舞いは、他分野にも影響を及ぼす。強い者なら、特別な場面で、もう1回打席に立ってもいいという、ある種選良主義的な思想を助長してはいないだろうか。「ゴールデン」は政策的には“ルールドーピング”の色彩が濃いと考える。
<この原稿は24年12月18日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>