来年は久保&堂安の“10×10”再現が見たい

facebook icon twitter icon

 代表チームたるもの、どんな試合、どんな大会であっても勝利を目指すのは言うまでもない。ただ、24年の終わりにさしかかって思う。

 

 もしアジア杯で日本が優勝していたら、今年の印象はどうなっていただろうか。

 

 伊東がいなかった。三笘が完調ではなかった。GK鈴木は未熟だった。およそ完調とは言い難い状態で大会に臨んだ日本は、優勝どころか、準決勝にすらたどりつけずに大会を去った。鈴木にこだわった起用法も含め、森保監督には批判の声が向けられた。

 

 ここでのつまずきが大きかった分、最終予選での巻き返しが印象的になったわけだが、もちろん、森保監督がアジア杯を捨て石に使ったわけではない。彼は本気で勝ちに行って、本気で負けた。

 

 そのことが、たとえば最終予選における対戦相手、特に初戦の相手である中国に与えた影響はなかったか。

 

 ご存じの通り、この試合は日本の歴史的圧勝に終わった。7-0。まずありえるスコアではない。少なくとも、日本がアジア杯を制し、23年に敵地でドイツを粉砕した印象そのままで最終予選を迎えていたら、中国はもっと慎重な、守備的な……はっきりいえば前回大会予選同様に極めて臆病な戦い方をしてきただろう。

 

 だが、アジア杯で日本の意外なモロさを覗き見たことで、中国側にも欲が生まれた。欲が生まれたために、それがかなわないと思い知らされた瞬間、彼らは集中力を失った。0-3の負けならば成功だ、といった意識付けがなされていれば、あんなスコアになることはなかった。

 

 第2戦の相手、バーレーンについても同じようなことは言える。埼玉で中国が喫した惨敗は、意外なぐらいバーレーンを萎縮させてはいなかった。敵地でオーストラリアを倒した高揚感、地元開催に対する絶対的な自信がそうさせていたのだろうが、彼らもまた、日本相手に欲を出し、高い代償を支払うことになった。

 

 2試合で12ゴールという異常な数値は、さすがにその後の対戦相手の警戒心を最大化させた。以降の4試合では得点10。常識的な数字で落ち着いているし、おそらく、この傾向は今後も続くだろう。最初の2試合が、いいささか異常だったようにわたしには思える。ただ、そうはいっても最終予選でこれだけの結果を残すのは簡単なことではない。しかも、現在の日本が、理想形、完成形とは言い難いところも、今後の期待を大きくさせる。

 

 上田で決まりかけていたストライカーのポジションは、小川の台頭でわからなくなった。来年は最終ラインに冨安や伊藤も帰ってくるだろう。マインツでは、佐野がシュツットガルト時代の遠藤にも負けない存在感を発揮している。Jに目を向けても、代表で使ってほしい選手は数多くいる。

 

 なによりわたしが期待するのは、久保と堂安である。

 

 代表における2人の出来が悪かった、とは思わない。両者とも、きっちりと記録に残る形で勝利に貢献してはいる。ただ、所属クラブでの輝きに比べると、正直、物足りなさは残る。これは、2人の問題であると同時に、2人の力を引き出しきれていない森保監督の責任でもある。

 

 東京五輪時代、2人の存在は、“掛け算”だった。10+10ではなく、10×10だった。願うのは、夢物語の実現ではなく、かつてできていたことの再現。日本代表のさらなる飛躍と成長を期待しつつ、それでは皆さま、よいお年を。

 

<この原稿は24年12月26日付「スポ-ツニッポン」に掲載されています>

facebook icon twitter icon
Back to TOP TOP