大村は4人兄弟の3男坊として生まれた。光矢という名前は「光る矢のようにボールを投げてほしい」との父の願いが込められたものだ。愛媛といえば野球王国。出身の西条市にある西条高は夏の甲子園で全国制覇の経験もあり、往年の名投手で巨人の監督も務めた藤田元司(故人)ら多くのプロ野球選手を輩出している。近年では阪神の秋山拓巳もそのひとりだ。野球好きの父は、プロ野球選手になる夢を息子たちに託していた。
 2人の兄とともに大村も小さい頃から父の指導で野球に打ちこんだ。父は打撃フォームひとつとっても、バットの角度まで徹底して教えるほど熱心だった。小学校では地元のリトルリーグへ。ポジションはショートでクリーンアップを任された。当時、憧れていたのは西武の清原和博。プロを目指し、ひたすら白球を追いかける日々が続いた。

 だが、思春期にさしかかると誰しも夢だけでは生きていけない現実に気づく。ある者は、それでも道を貫き、ある者は道を変え、ある者はしばし道を外す。大村もどこにでもいる少年のひとりだった。中学で野球を断念すると、遊びに夢中になり、勉強にも身が入らない。
「いわゆる不良になっちゃって、高校も1年くらいで辞めちゃいました」
 髪を金色に染め、毎日のようにバイクを乗り回した。将来への漠然とした不安を抱えつつ、それらをすべて爆音とともにかき消した。

 もちろん、そんな日々は何年もは続かない。少年はもがきながら、自分が打ちこめるものを見つけて大人になる。大村にとって、それは極真カラテだった。
「最初は仲間と一緒に“1回、観に行くか”と気軽な気持ちだったんです。“ちょっと覚えたらやめよう”と。でも、実際に組み手とかをやると、簡単に負けてしまう。それが悔しかった」

 根っからの負けず嫌いがムクムクと頭をもたげた。アイツに負けたくない、絶対に勝ってやろう……練習に打ち込むうち、いつしかカラテの虜になっていた。昼間は造船会社で働き、夜は道場に通う。そんな日常を繰り返していると、19歳で始めたにもかかわらず、全国大会に出場するほど力がついた。
「礼儀作法や練習を継続することの大切さを学びましたね。これは今のボクシングにも生きていると感じます」

 K-1ファイターから進路変更

 その頃、世の中は格闘技ブームを迎えていた。K-1やPRIDEが人気を博し、テレビ中継は高視聴率を稼いでいた。きらびやかなステージから登場し、大観衆の中をリングに上がる。そんなファイターたちが大村の目にもまぶしく映った。ちょうど02年には中量級のカテゴリーであるK-1MAXが創設され、近々、軽量級の大会もスタートするとのうわさを耳にした。

「プロの格闘家になって有名になりたい」
 その思いは日に日に抑えきれないものになっていた。2004年春、大村はついに上京を決意する。仕事も辞め、体ひとつで同郷の三迫会長を頼り、ジムにやってきた。ここでボクシング技術を磨き、K-1ファイターへ――。それが当初、描いた未来予想図だった。

 カラテでも4年間でそこそこのレベルに達した自信はあった。ボクシングもすぐにうまくなるはず……。そう思っていた。しかし、天狗の鼻はすぐにへし折られた。スパーリングをしても全くパンチが相手に当たらない。
「悔しかったですね。それで今度はボクシングにハマってしまったんです」
 負けず嫌いの心に再び火がついた。最初は左ジャブを徹底的に教わった。練習を重ねるにつれて徐々にパンチがキレを増し、相手をとらえられるようになる。うまく拳が当たった時の感触は、今でも忘れられないほどうれしかった。こうしてジム通いを続けるうちに、K-1ファイターという目標はプロボクサーにすり替わっていった。

 プロテストに合格し、05年2月にデビュー。上京から約1年。「ここから一旗あげてやる」。デビュー戦のリングに上がった大村は野心に充ちあふれていた。
 1R、ゴングが鳴るやいなや、相手に襲いかかった。右、左となりふり構わずパンチの雨を降らせた。

 しかし、こんな試合運びでは、すぐにスタミナは底をつく。2R以降は失速し、逆に反撃をくらった。初のバッティングも経験し、プロの洗礼も味わった。続く3R、相手の連打になす術もない。試合が止められた。3R1分7秒TKO負け。栄光への第一歩を記すはずの一戦で、大村はいきなり地獄に叩き落とされた。

「もうこの先、勝てないかもしれない。どうすればいいんだ……」
 バラ色の未来は一瞬にしてイバラの道に変わった。ただ、もう24歳にもなろうとする男に、乗り回すバイクなど用意されるはずもない。絶望、不安、そして恐怖……。これらを振り払うには、ただひたすら拳を振るうしかなかった。

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(第3回につづく)

<大村光矢(おおむら・みつや)プロフィール>
1981年4月2日、愛媛県出身。日本スーパーフェザー級3位。高校を中退後、極真カラテの道へ。全国大会出場も果たすなど実績を残し、2004年に上京。プロ格闘家を目指して、ボクシング技術を磨くため、三迫ジムに入門。そこでボクシングの魅力に惹かれ、05年にプロデビュー。翌年、東日本新人王トーナメントで準優勝に輝く。09年に日本ランカー入りすると、10年9月に日本ライト級王座に初挑戦。5RTKOで敗れるも、本来のスーパーフェザー級での王座獲得を視野に入れている。強靭なスタミナとスピードを生かした突進が持ち味の右ファイター。身長168cm。



(石田洋之)
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