大相撲の決まり手の数は、現在87手ある。その中には、一度も使われていない決まり手も存在する。かつて相撲界には、栃錦や栃赤城など多彩な決まり手で勝ち名乗りを受けた力士がいた。近年では“技のデパート”と呼ばれた舞の海か。しかし、今の土俵を見ると、彼らほどの個性派力士は存在しない。今年の五月場所は、八百長問題を受けて、技量審査場所となった。技量が問われる今場所、新たな技巧派力士の出現に期待したい。
 そこで、滅多に見られることのない大相撲の技の数々を、1992年の原稿で紹介しよう。
<この原稿は1992年11月1日号『PLAY BOY日本版』(集英社)に掲載されたものです>

 大相撲の正式な決まり手は、現在、70手。これに「勇み足」と「腰くだけ」の自滅系の決まり手が2手加わり、72手とされているが、実際に使われているのはその半分ぐらいだといわれている。決まり手の70手にしても、すべて明治以前に開発されたものだ。「最近、猛烈に技が減ってきている原因は力士たちの太りすぎ。決まり手の中にはやせている力士同士じゃないとできないものが多く、反り技などはその典型でしょう。ここ10年ほどはひと場所で30手も出ていない。栃若時代に比べるとひと場所で10手くらいは確実に少なくなっているはずです」(相撲評論家・三宅充氏)
 参考までに言えば、昭和28年の幕内力士の平均体重が114キロだったのに対し、現在は150キロ弱。約40年間で40キロ近くも増量しているのだ。これでは決まり手の数が減少するのも無理はない。
 そこに現れたのが“平成の牛若丸”こと舞の海である。ネコだましに始まり、八艘(はっそう)飛び、三所攻め、たすき反り……と平成3年秋場所に新入幕以来、次から次へと奇手・珍手を披露している。“技のデパート”と異名をとる所以だ。
 中でも、相撲ファンをアッと驚かせたのが、昨年九州場所、対曙戦で見せた三所攻め。協会発表の決まり手は内掛けだったが、私たちが土俵上で目撃したものは、まぎれもなく幻の必殺技だった。
<図録『日本相撲史』総覧>(新人物往来社)によると?相手のまわしを引きつつ「内掛け」を打つ、?同時に、相手の反対側の足の膝裏をかかえる、?足をすくい上げる、?体をあずけ、相手を倒す――相手の膝をすくうとき、内側からでも外側からでも「三所攻め」になる、という。
 この際、せっかくだから、こんな意見も紹介しておこう。
「この技は、どこからどう見てもセックスの形にしか見えません。首投げが正常位に近いノーマルなら、これは一種の変態性をおびたアブノーマルセックス。そもそも、裸体で手足がからみ合う相撲の技は、複雑になればなるほどセックスに近くなるのです。舞の海は日本古来の性生活から啓示を受けているのかもしれません」(相撲ライター・小室明氏)
 そういえば、相撲界で首投げは「セックス」の隠語。舞の海、さては土俵の外でもテクニシャン?

「舞の海は最近、ネコだましにかわる新しい奇襲技の開発に余念がないそうです。そのひとつが、立ち合いのとき“アッ、あれは何だ!?”と指をさし、相手が気を取られたスキに飛び込む、まるで“アッチ向いてホイ”のような珍手。これが本番で出たら大笑いになるでしょう」(相撲狂のフリーライター・中田潤氏)
 ホンマかいな!? という気がしないでもないが、過去6度ネコだましを使い、1度も負けていないことを思えば、一生に付すわけにもいかない。
 そこでかつて“技の博覧会”と呼ばれ、元横綱の栃錦につぎ、歴代2位の決まり手の数を誇る元関脇・栃赤城にレクチャーを仰いだ。
「舞の海がそれをやるとしたら、相手の腰が上がる前にやらないとダメだな。やるタイミングが遅れると相手に先に中に入られちゃうよ。要するに奇策というのは、自分が有利に組むためのまき餌のようなものだから。ただ、立ち合いの前というのは、パッと前に出した手を、さっと引くだけでも効果があるものなんだ。立ち合いの際、相手のスピードを殺すことができれば、それだけでもう十分だよ」
 ちなみに舞の海が得意とするネコだましは、相手の目の前でパチンと両手を柏手のように打ち、相手が驚いて目をつぶった瞬間に、足をとったり後ろへ回ったりする文字どおりの“奇手”で、もちろん決まり手ではない。実力や体格が格段に違う相手に対して、格下の力士が苦しまぎれに使う反則スレスレの“セコイ技”といってもさしつかえあるまい。
 三宅氏が作成した資料によると、明治中期、大阪相撲で164センチの小兵ながら、ケレン相撲で鳴らした猫又三吉が、この“奇手”を得意にしていたとある。だから「ネコだまし」と命名されたのかどうか定かではないが、目の前で手を叩いたくらいで驚いて腰を抜かすようなネコなどいないにもかかわらず、そのネーミングはじつにユニークだ。
 さらに見ていくと、大正14年夏場所2日目の十両勝負付けに「小田の山(ネコだまし)岩見嶽」とあるが、この岩見嶽という力士は小田の山が手を叩いただけで驚いて倒れるか土俵を割るかしてしまったのだろうか。岩見嶽という立派なしこ名をもらいながら、実際にはネズミのように臆病な人だったのだろう。
「奇襲中の奇襲のネコだましを、もう6回も使うなんて、ちょっと舞の海はやりすぎだね。ただ、相撲に絶対にやってはいけないといわれている跳ぶ、立ち合いで下がる、のふたつをやって成功しているのは彼だけ。これは評価に値するね」(三宅充氏)
 異能力士の鑑・舞の海、まだまだ土俵のネタは尽きそうにない。

「相撲ファンが一生に1度見れるか見れないのかの珍手、だれもが見たいものといえば“五輪砕き”と“しき小股”が双璧でしょう」(三宅充氏)
 五輪砕きとは、何ともすさまじい名称だが、五輪とは五臓のこと。すなわち五臓が砕けてしまうほどの強烈なダメージをもたらすといわれているのが、この技の特徴だ。
 この技、幕下の土俵ではあったが、引退の場所、置き土産がわりに栃赤城が披露している。
「これはプロレスでいう人間風車(ダブルアーム・スープレックス)の原型。両ヒジではさみつけるように首を決めると、もう相手は何もすることができない。本当はプロレスみたく投げるより、決めたままにしておいたほうがきくんだよね。とどめとばかりにグイッと腹を突き出せば、相手は自らヒザをついてマイッタするしかない。プロレスでいうギブアップってところだね」(栃赤城)
 もうひとつの秘技、しき小股は自らの両足の間から相手の片方の足をすくって持ち上げ、後ろ向きに倒すという「100年に1度の珍手」(三宅氏)。昭和43年九州場所の9日目、三段目の坂が幕下の松前洋戦で披露したのが最後といわれている。
 反り技系には、最近とんとくぶさたの“伝説の技”がたくさんある。その筆頭格がたすき反りとしゅもく反りである。
 ともあれ、掛け方を紹介しよう。
 三宅氏によると、たすき反りは?相手の左(右)わきの下に頭を突っ込み、?右(左)から抱え、?左(右)差し手のひらを相手の左(右)ヒザの内側へ外から当ててハネ上げ、?自分の右(左)後方へ反り返るというウルトラC。なんとも複雑怪奇な手順だが、プロレスでいうところのブロックバスターに近い。
 しゅもく反りは前者の変形で、いったん、完全に相手の体を肩の上に担ぎ上げるのが特徴だ。
 前者は昭和26年夏場所、栃錦が不動岩にかけたのが最後、後者は28年秋場所、成山が大内山を倒した一番が最後といわれている。
 たとえは悪いが、これらの技を目の当りにするのは、巨人・大久保のランニングホームランよりも困難なことに違いない。
「しゅもく反りは稽古場で1回だけ見たことがあるけど、あれは相手が首を決めにきたとき、その手があまいようだと何とかなるけど、実際には不可能な技。偶然に偶然が重なって初めて見ることができる技だろうね」(栃赤城)
 これらの反り技を決めるには、強靭な上半身が必要となるため、さしもの舞の海も、あと一歩のところで失敗に終わっている。珍手マニアとしては、懲りずに何度でも挑戦してもらいたいところだが……。

(後編につづく)
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