町田・黒田監督に“かみつく”指揮官 出てこないかなぁ
阪神淡路の大震災から30年が経った。正直、ちょっと狼狽している。
住んだこともある街が見舞われた大災害ということもあって、わたしの中の記憶はいまだ比較的鮮明である。狼狽……というか、少し愕然としてしまったのは、自分の中にある年月の歪みだった。
わたしは、昭和41年生まれである。その30年前と言えば、当然のことながら昭和11年である。この年、日本では現在のNPBにつながる日本職業野球連盟が設立された。とてつもない昔話というか、教科書や資料の中にしか存在しなかった事実は、わたしが生まれる30年前に起きていた。全国各地に深い傷痕を残した戦争が終わったのは、たった21年前のことだった。
あの30年で起きたほどには、この30年で日本に起きた変化は大きくないかもしれない。ただ、スポーツに関しては劇的に変わった。海外で活躍する日本人アスリートは珍しくなくなり、「日本人では無理」とされていた競技の多くが高い国際競争力を手に入れた。「失われた30年」という言葉は、少なくともスポーツに関しては当てはまらない。
サッカーももちろん変わった。W杯出場を目指す、と聞いて記者たちが失笑した国は、いま本気でW杯優勝に向かおうとしている。この成長曲線は、他のスポーツと比べても決してヒケをとるものではない。
ただ、少々残念というか、物足りない部分もある。
わたしが子供の頃のプロ野球には、つまり発足して30年から40年ぐらいのプロ野球には、名監督がいて、迷監督がいて、もうひとつ、名物監督がいた。勝つ、あるいは負けるといった結果でニュースになるのではなく、その言動や立ち居振る舞いに注目が集まる監督がすでにいた。62年に発足したブンデスリーガにも、90年代はさまざまなタイプの監督がそろっていた。
Jリーグは、どうだろう。
名監督ともてはやされた人ならば何人もいた。迷監督扱いを受け、姿を消していった人物もいた。だが、記者たちが試合後のコメントに群がりたくなるような監督や、サッカーを勝負事であると同時にエンタメであることを明確に意識し、行動に起こしている監督がいただろうか。
サッカーは、監督の主義主張がはっきりと表れるスポーツである。試合を見れば、その監督がどんなスタイルを志向しているかは一目瞭然である。ゆえに、欧州や南米では、監督同士による論争が常に起きている。宗教論争と同じく、決着のつくことがまず望めない、しかし宗教戦争と違い、誰かの命が失われることのないこの論争は、本来、サッカーにおける大いなる楽しみのひとつである。
ところが、なぜか日本ではこの種の論争が起こらない。オフレコで他チームの悪口をいう監督は山ほどいるが、公の場でそれを口にする人はほとんどいない。国民性によるものなのだろう、ちょっと、惜しい。
興味深いのは、武士は相身互い的な振る舞いが常態化していたJリーグで、昨年は少しさざ波が起きていたこと。きっかけをつくったのは、従来のルートとはまったく違った形で監督の座についた町田の黒田監督だった。就任2年目にして、彼はJでもっとも言動が注目される監督の一人となった。
ここで黒田監督に論争をふっかけ、そのサッカーを全否定するような監督が出てくれば、30歳を過ぎたJリーグには、また新しい楽しみが生まれる。ノムさんみたいな人、現れないかなあ。
<この原稿は25年1月23日付「スポ-ツニッポン」に掲載されています>