“データ偏重”イチローの憂いはサッカーに通じる

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 イチローが米国でも殿堂入りを果たした。ただただ驚嘆するしかない。彼が海を渡ったのは、日本人のメジャーに対する物差し、あるいは米国人の日本人に対する見方が「通用するか否か」の時代だった。活躍できるか以前に、試合に出られるかどうかが話題になる時代だった。

 

 それだけに、日米の先入観を根底から覆したイチローの功績はとてつもなく大きい。ほぼ全員に近い記者が彼の殿堂入りを推したのも納得である。

 

 選考結果の発表後は、イチローに投票しなかった誰か、についても注目が集まった。イチローの「やっぱり不完全はいいな」というコメントは見事だったが、同時に、その誰かを糾弾するような動きも日米両国で散見される。

 

 おそらくは今後も“誰か”が明らかになることはないだろうし、投票しなかった理由が判明することもない。ただ、自分が投票する側の人間だったと想像してみると、「それもアリかな」という気もしてくる。

 

 イチローは凄い。とてつもない。だが一方で、わたしたちはもっと凄い選手を知ってしまった。ベーブ・ルース以来という、とてつもない偉業をなし遂げた選手を知ってしまった。彼とイチローが同じ満票でいいのだろうか。いや、彼のために「完全」な投票結果を残しておくべきではないか――。

 

 もっとも、もしそうだとしたら、投票者は胸を張って名乗り出ていただろうし、これはあくまでもわたしの妄想である。ただ、どんな意図があったにせよ、結果として日本人初の満票での殿堂入りという偉業は、手つかずのまま残された。何年後か何十年後か、日米は再びこの話で盛り上がることになるだろう。

 

 それにしても、殿堂入り後のイチローの言動には、考えさせられるものが多かった。

 

 米国でプレーする日本人の数が思っていたほどではない、と彼は嘆いた。言われてみれば、なるほどである。海外への挑戦という意味で野球とほぼ同じ時期にスタートを切ったサッカーは、欧州でプレーする選手が3桁に達しようとしている。メジャーのみを「海外」と認識する野球と、Jよりレベルが低い国であっても「海外」と考えるサッカーの違いがあるとはいえ、全てのポジションの選手が満遍なく海を渡っていくサッカーと、圧倒的に投手が多い野球との違いは確かにある。

 

 個人的には、これはあくまでもタイムラグの問題で、善し悪しは別にして、いずれは野球も海外進出がもっと増えていくはずだと思う。ただ、現時点での違いを生んでいる原因の一つには、育成段階の指導が関係しているのかもしれない。

 

 日本のサッカー少年にとって、いまやJリーグは上るべきステップの一つでしかない。子供も指導者も、海外でプレーすることを念頭において日々のトレーニングに勤しんでいる。その点、野球では依然として高校野球が大きな目標であり、NPBは最高到達点であり続けている。見方を変えれば、だからこそイチローは、若年層の指導に意欲を燃やしているのでは、とも思えてくる。

 

 一方で、彼が憂慮するデータ偏重の傾向は、サッカー界にもはっきりと表れてきている。ゆえにサッカーは退屈になった、とまでは言わないが、昔を知る者の一人からすれば、確実に驚きや衝撃は失われてきている。イチローが模索する道は、日本のみならず、世界のサッカー界が探していかなければならない道、なのかもしれない。

 

<この原稿は25年1月30日付「スポ-ツニッポン」に掲載されています>

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