いよいよロンドンオリンピック・パラリンピックまで約1年。先日は卓球で代表選手が決定するなど、スポーツ界は徐々に“ロンドンモード”に突入していますね。障害者スポーツ界でもパラリンピックを目指すアスリートたちがロンドンの切符を獲得するため、国内外の大会に出場しています。そこで今回は、14、15日に開催されたIPC(国際パラリンピック委員会)公認の「新日本製薬大分陸上2011」(大分市営陸上競技場)へ行ってきました。そこで私が見たのは、真のスポーツ大会を目指す大会運営者の強い思いでした。
(写真:来年のパラリンピックを目指し、国内トップ選手がA標準記録突破に挑んだ)
「手づくり感のあるいい大会」
 大分陸上については、以前からそんなふうに周囲から聞いていました。この「手づくり」という言葉から、正直、私は「みんなで協力し合い、アットホームな心温まる大会」というようなイメージを持っていたのですが、実際に足を運んでみると、そうではありませんでした。大会の趣旨が明確で、それを実現させるために地域や企業の協力を得ながら奔走している。つまり目的のために必要なことを自分たちでやっている。それが「手づくり」という言葉の意味だったのです。

 大分陸上は2005年に一人の選手とそれに賛同した友人の2人でつくりあげた大会です。大会というと、連盟や協会、自治体などが主催するものだとばかり思っていた私は、まずそのこと自体に驚きました。その選手とは車椅子ランナーの廣道純選手。パラリンピックではシドニー大会800メートルで銀メダル、アテネ大会800メートルで銅メダルを獲得し、現在も400、800、5000メートルの3部門で日本記録をもっているトップアスリートです。廣道選手は5年前に大分陸上を始めた理由を、こう語ってくれました。

「実はそれまでも国内で行なわれていたパラリンピックの選考レースは4大会あったのですが、全て車椅子ではタイムが出にくい重いトラックで行なわれていたんです。ですから、パラリンピックに出場するためのA標準記録を出すには、海外のレースに出場しなければなりませんでした。しかし、これからパラリンピックを目指そうというような若い選手はお金がなかったり、仕事を休めなかったりと、なかなか海外に行くことができません。そうすると、パラリンピックを諦めるしかないわけですよね。それでは不公平だなと思ったんです。それで、日本でも記録を出せる大会をつくろうと思ったのがきっかけでした」

 表彰式に見る高い競技性

 05年当時、シドニー、アテネと2大会連続でメダルを獲得していた廣道選手には、既にトップアスリートとしての基盤がありました。ですから彼自身のことだけを考えれば、わざわざ苦労して大会をつくらなくても、北京への切符は掴むことができたのです。しかし、廣道選手はそれでは有望な若手が埋もれてしまうと危機感を持ちました。日本の車椅子ランナーの将来を考え、「このままではいけない」と一念発起し、元選手でもあった友人の小野洋一さん(大会役員)と2人で一からつくりあげたのが大分陸上だったのです。ですから、この大会の趣旨は「選手がA標準記録を突破し、パラリンピックの出場を目指すトップレベルの大会」と競技性を前面に押し出しています。そして、そのことを出場選手はもちろん、大会関係者、審判、協賛企業が理解したうえで開催されているのです。

 それをよく表しているのが表彰の方法です。普通、国内での大会では、同じ競技でも障害のクラス別に細かく表彰します。しかし、クラスによっては1人しか出場選手がいないことも少なくありません。そうすると、自動的にその選手が金メダルをもらえるわけです。これをもし、一般の観客が見たらどう思うでしょうか。果たしてスポーツの大会として認めてもらえるでしょうか。選手はアスリートとして認めてもらえるでしょうか。さらに言えば、選手自身、満足感は得られるのでしょうか。

(写真:100メートル<下肢切断クラス>で日本人初の11秒台をマークした春田純選手)
 そこで大分陸上では、それぞれの世界記録にどれだけ近づいたかをパーセンテージで算出し、全競技・種目・クラスからベスト5の選手を選んで表彰する方法をとっているのです。
「たとえ1人しか出場していないクラスでも、実は世界に近づいている記録を出していたりするわけです。でも、そのことがわからないと、観ている人たちは『やっぱりたいしたことないな』と思ってしまう。それではいつまでたっても障害者スポーツは認めてもらえませんからね」と廣道選手。全ての障害のクラスに平等に表彰するにはどうしたらいいのかを考えた結果、海外ではよく採用されているこの方法を導入したのだそうです。

 メインスポンサーとして協賛している新日本製薬の後藤孝洋社長は、こうした廣道選手の考えに共感したと言います。
「表彰の仕方こそが、この大会がグローバル基準であることの証。自分自身の目標を達成できたかどうかを大いに示せるのがこの大会の最大の魅力だと思っています」
 今回、新日本製薬を含め、協賛企業は32社を数えました。この厳しい経済状況の中、協賛企業の数が右肩上がりなのは、新日本製薬のように大会の趣旨に賛同しているからこそ、なのです。

 障害者スポーツを“見(魅)せる”コンテンツに

 また、大分の風土も大会の成功には大きく影響しています。障害者スポーツの父と言われる故・中村裕先生がつくられた「太陽の家」があり、毎年秋には「大分国際車いすマラソン」が行なわれている大分には、障害者スポーツの基盤があります。大分市営陸上競技場では、普段から高校生の陸上部員と障害者の選手が同じトラックで練習をしていますし、河川敷では一般の市民ランナーと車椅子ランナーが並走している姿をよく見かけます。このように大分の町には障害者や障害者スポーツが日常的に自然なかたちで存在しているのです。それは廣道さんのこんなエピソードからもわかります。

「もともと大分には実業団連合が主催する『実業団ナイター陸上』という健常者の大会があるんです。最初はその大会に車椅子のレースをエキシビジョンとしてやらせてもらいたいとお願いをしました。そしたらすぐにOKの返事をもらうことができました。それがきっかけとなって『障害者だけの大会ができないかな』と考えるようになったんです。まず、大会をやるには審判が必要です。しかし障害者の大会には行きたがらないのが普通です。なぜなら、健常者の大会は実績につながりますが、障害者の大会にいくら行っても全くカウントされないからです。ところが、大分陸上競技協会にお願いをしに行くと、二つ返事でOKをもらいました。今では逆に、審判の方から『今年はいつやるんや?』って聞かれるんです。本当にありがたいですよね」
 この話を聞いて、私は日本の障害者スポーツにとって大分というところがどれだけ大きな存在かを改めて感じざるを得ませんでした。
(写真:閉会式で挨拶をする廣道選手。国内外から多くの選手が出場してくれたことに感謝の意を表した)

 とはいえ、この大分陸上でも一般の観客はほとんどいませんでした。それだけ、日本で障害者スポーツを“見(魅)せる”コンテンツにすることは難しいということでしょう。集客には2つのクリアしなければならない課題が挙げられます。第1段階としてはまず、「来てもうらこと」。そのためには大会の存在を広くPRしなければなりません。そして次に「来てもらった人にどう楽しんでもらうか」ということです。大分陸上では、少しでも雰囲気を盛り上げ、見ている人に楽しさやわかりやすさを提供しようと、DJの実況と専門家の解説が場内放送で流されます。しかし、さらに競技としての魅力を伝えるには、実況放送全体のレベルアップが必要だと、廣道選手は述べています。
「試合前に選手のその日のコンディションや目標などを取材し、新鮮な情報を取り入れながら、レースの展開を読む。一般のスポーツの大会では普通に行なわれていることを、この大会でもできたら、もっと観客に楽しんでもらえることを増やすことができると思っています」

 私がそもそも大分陸上に取材に行きたいと考えたのは、アスリートに人気の高い大会だ、と聞いたからです。実際に行ってみて、納得しました。記録を出す、という明確な目的のもとに選手や関係者が集まり、それぞれの役割を担うことで大会が成立しています。目的を共有しているからこそ、会場には一体感がありました。だから選手は記録を出すことに専念できる。大分陸上がアスリートに人気が高い理由はそこにあったのです。大分陸上は今回で6回目を迎えました。一貫したコンセプトのもとに行なわれているこの大会の存在意義は「全国障害者スポーツ大会」など、様々な大会のあり方が問われている今、非常に高いといえるのです。


伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>
新潟県出身。障害者スポーツをスポーツとして捉えるサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND副代表理事。1991年に車椅子陸上を観戦したことがきっかけとなり、障害者スポーツに携わるようになる。現在は国や地域、年齢、性別、障害、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション活動」を行なっている。その一環として障害者スポーツ事業を展開。コミュニティサイト「アスリート・ビレッジ」やインターネットライブ中継「モバチュウ」を運営している。2010年3月より障害者スポーツサイト「挑戦者たち」を開設。障害者スポーツのスポーツとしての魅力を伝えることを目指している。