第9回 「車いすテニスのイイヅカ」を世界に発信!
現在、熱戦が繰り広げられているテニスのウィンブルドン選手権では15年ぶりの勝利を飾ったクルム伊達公子選手や、予選から勝ち上がり、初出場ながら今大会日本人最高の3回戦進出を果たした土居美咲選手など、日本人選手の活躍が目立ちましたね。連日、寝不足になりながら楽しんでいる人も多いことでしょう。周知の通り、ウィンブルドンはグランドスラムの中でも最も人気がある大会で、世界中のテニスプレーヤーの憧れとなっています。実は日本にも海外のプレーヤーに絶大なる人気を誇るテニスの国際大会があります。NEC車いすテニスツアー「飯塚国際車いすテニス大会」、通称「ジャパンオープン」です。
(写真:男子シングルスでは国枝選手が6連覇を達成した)
ジャパンオープンは毎年5月に福岡県飯塚市で開催されています。今年は5月17〜22日に行なわれ、世界のトッププレーヤーたちが集いました。3月に起きた東日本大震災の影響で、先行きの見えない不安と、日本経済に暗雲が立ち込める中での開催ということもあり、相当な苦労があったことは想像に難くありません。それは、この大会開催のために最も尽力している前田恵理大会会長が、表彰式のあいさつで涙ぐんでいた姿にもはっきりと表れていました。実際、海外選手からのキャンセルが相次ぎ、例年より参加人数も減ってしまいました。それでもオーストラリアやオランダ、ドイツなどから何人もの選手が参加してくれたのです。
世界で人気No.2の国際大会
実はこの大会、毎年のように開催が危ぶまれています。その最たる理由は金銭面。大震災があった今年は、特に危機的状況だったようです。それなら、規模を小さくするという選択肢もあるのでは、と思われる方もいることでしょう。しかし、この大会は4大大会と言われるグランドスラムの次に格付けされているスーパーシリーズ(SS)なのです。世界で150以上あるITF主催の大会は7ランクに分かれており、最高峰のグランドスラム4大会に次ぐSSは5大会しかありません。飯塚はそのうちの一つです。ですから、SSであるための条件に満たした運営をしなければならないのです。
(写真:ジャパンオープンには自衛隊員のサポートが欠かせない)
SSとはいえ、ジャパンオープンは他の海外の大会と比べても、交通の便や環境面は決してよくありません。飯塚市に行くためには海外の選手は成田空港を経由し、飛行機や新幹線で福岡へ行き、そこから車で1時間ほどかけなければいけないのです。会場も観客席はなく、車いすの人が使用できるトイレは一つしかありません。さらに宿泊施設までは遠く、送迎が必要なのです。こうした環境や設備面から考えると、来年もまたSSである保証はどこにもなく、逆に状況としてはいつ降格しても仕方ないと言っても過言ではありません。
それでもジャパンオープンが2004年以降、SSであり続けられているのは、なぜなのでしょうか。それはひとえに海外の選手からの人気が非常に高いからなのです。08年、国際テニス連盟(ITF)が選手、コーチに行なった調査では、世界で約150ある車いすテニスの大会中、2位に輝いているのです。では、人気の理由はどこにあるのでしょうか。それはひと言で言えば、「ホスピタリティの充実」です。最も象徴的なのが大会本部の在り方でしょう。そもそもテント一つのオープンなつくりであるうえに、そこでは選手と大会関係者、地元ボランティアの人たちが和気あいあいと楽しそうに話をしているのです。本部というよりも、そこはまるで地域コミュニティの場のようにさえ見えます。さらにコートと宿泊施設との送迎を担当する自衛隊員の接し方も実に気持ちがいい。海外選手にとって飯塚での1週間は、不便さを補って余りある居心地の良さがあるのです。
今こそ改革のとき
とはいえ、前述したように今後もSSのままでいられるかはわかりません。そこで 大会終日の夜には初の試みとして懇談会が行なわれました。飯塚市長の協力を取り付けた、前田会長が地元の政界、財界の有力者たちを招きました。ITFの審査員がSSであることの価値を説明し、国枝慎吾選手や斎田悟司選手らがこの大会の素晴らしさを語りました。SSであるジャパンオープンの価値を理解してもらったうえで、今、どれだけ危機に瀕しているかを知ってもらい、その地位を守るために地元全体の課題として捉えてもらおうという意図で開かれたものです。
サッカーのJリーグやバスケットボールのbjリーグを筆頭に、近年、日本のスポーツ界は地域密着型の経営が主流になりつつあります。70年以上の歴史を誇るプロ野球でさえ、球団名に地域名を入れるなど、地域との関わりを重要視しています。それだけ地域活性化のツールとしてスポーツは非常に有効だということでしょう。飯塚は既に車いすテニスの国際大会、しかも海外選手から人気を誇る大会を開催してきたという実績があるわけです。それを地域活性化のツールとして使わない手はありません。「飯塚=車いすテニス」を明確に打ち出し、国内のみならず世界へ「イイヅカ」を発信するのです。
(写真:多くの地元ボランティアが大会を支えている)
そのためには運営の形態からかえていかなければなりません。現在、ジャパンオープンは前田会長をはじめ、個々の努力によって、なんとか開催されている状態です。これを自治体や地元の経済団体など、公の組織による、しっかりとした基盤に支えられた大会にしていくことが急務とされているのです。
毎年、ジャパンオープンの前後には韓国で「テグオープン」が開催されます。現在、同大会のランクはジャパンオープンの一つ下のITF1。しかし、毎年のように大会関係者がジャパンオープンの視察に飯塚を訪れ、SSへの昇格を目指しています。ジャパンオープンが今のままの状態では、テグオープンと入れ替わる日もそう遠くはないかもしれません。そうなってからでは遅いのです。海外選手に人気を誇り、SSである今、地域が一体となって改革に乗り出してほしい。飯塚という小さな町だからこそできることであり、ひいては車いすテニスの認知・普及拡大につながるはずです。
私たちSTANDでは今大会、昨年に続いてNECと協働で、最終日に行なわれた男子シングルス決勝、男子ダブルス決勝の模様をインターネットライブ「モバチュウ」で配信。微量ながら昨年よりも多い約1万8000のアクセスを数えました。インターネットはまさに世界へ発信するツール。飯塚と世界の架け橋になれるよう、私たちも一層の努力をしていきます。
<伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>
新潟県出身。障害者スポーツをスポーツとして捉えるサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND副代表理事。1991年に車椅子陸上を観戦したことがきっかけとなり、障害者スポーツに携わるようになる。現在は国や地域、年齢、性別、障害、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション活動」を行なっている。その一環として障害者スポーツ事業を展開。コミュニティサイト「アスリート・ビレッジ」やインターネットライブ中継「モバチュウ」を運営している。2010年3月より障害者スポーツサイト「挑戦者たち」を開設。障害者スポーツのスポーツとしての魅力を伝えることを目指している。
(写真:男子シングルスでは国枝選手が6連覇を達成した)
ジャパンオープンは毎年5月に福岡県飯塚市で開催されています。今年は5月17〜22日に行なわれ、世界のトッププレーヤーたちが集いました。3月に起きた東日本大震災の影響で、先行きの見えない不安と、日本経済に暗雲が立ち込める中での開催ということもあり、相当な苦労があったことは想像に難くありません。それは、この大会開催のために最も尽力している前田恵理大会会長が、表彰式のあいさつで涙ぐんでいた姿にもはっきりと表れていました。実際、海外選手からのキャンセルが相次ぎ、例年より参加人数も減ってしまいました。それでもオーストラリアやオランダ、ドイツなどから何人もの選手が参加してくれたのです。
世界で人気No.2の国際大会
実はこの大会、毎年のように開催が危ぶまれています。その最たる理由は金銭面。大震災があった今年は、特に危機的状況だったようです。それなら、規模を小さくするという選択肢もあるのでは、と思われる方もいることでしょう。しかし、この大会は4大大会と言われるグランドスラムの次に格付けされているスーパーシリーズ(SS)なのです。世界で150以上あるITF主催の大会は7ランクに分かれており、最高峰のグランドスラム4大会に次ぐSSは5大会しかありません。飯塚はそのうちの一つです。ですから、SSであるための条件に満たした運営をしなければならないのです。
(写真:ジャパンオープンには自衛隊員のサポートが欠かせない)
SSとはいえ、ジャパンオープンは他の海外の大会と比べても、交通の便や環境面は決してよくありません。飯塚市に行くためには海外の選手は成田空港を経由し、飛行機や新幹線で福岡へ行き、そこから車で1時間ほどかけなければいけないのです。会場も観客席はなく、車いすの人が使用できるトイレは一つしかありません。さらに宿泊施設までは遠く、送迎が必要なのです。こうした環境や設備面から考えると、来年もまたSSである保証はどこにもなく、逆に状況としてはいつ降格しても仕方ないと言っても過言ではありません。
それでもジャパンオープンが2004年以降、SSであり続けられているのは、なぜなのでしょうか。それはひとえに海外の選手からの人気が非常に高いからなのです。08年、国際テニス連盟(ITF)が選手、コーチに行なった調査では、世界で約150ある車いすテニスの大会中、2位に輝いているのです。では、人気の理由はどこにあるのでしょうか。それはひと言で言えば、「ホスピタリティの充実」です。最も象徴的なのが大会本部の在り方でしょう。そもそもテント一つのオープンなつくりであるうえに、そこでは選手と大会関係者、地元ボランティアの人たちが和気あいあいと楽しそうに話をしているのです。本部というよりも、そこはまるで地域コミュニティの場のようにさえ見えます。さらにコートと宿泊施設との送迎を担当する自衛隊員の接し方も実に気持ちがいい。海外選手にとって飯塚での1週間は、不便さを補って余りある居心地の良さがあるのです。
今こそ改革のとき
とはいえ、前述したように今後もSSのままでいられるかはわかりません。そこで 大会終日の夜には初の試みとして懇談会が行なわれました。飯塚市長の協力を取り付けた、前田会長が地元の政界、財界の有力者たちを招きました。ITFの審査員がSSであることの価値を説明し、国枝慎吾選手や斎田悟司選手らがこの大会の素晴らしさを語りました。SSであるジャパンオープンの価値を理解してもらったうえで、今、どれだけ危機に瀕しているかを知ってもらい、その地位を守るために地元全体の課題として捉えてもらおうという意図で開かれたものです。
サッカーのJリーグやバスケットボールのbjリーグを筆頭に、近年、日本のスポーツ界は地域密着型の経営が主流になりつつあります。70年以上の歴史を誇るプロ野球でさえ、球団名に地域名を入れるなど、地域との関わりを重要視しています。それだけ地域活性化のツールとしてスポーツは非常に有効だということでしょう。飯塚は既に車いすテニスの国際大会、しかも海外選手から人気を誇る大会を開催してきたという実績があるわけです。それを地域活性化のツールとして使わない手はありません。「飯塚=車いすテニス」を明確に打ち出し、国内のみならず世界へ「イイヅカ」を発信するのです。
(写真:多くの地元ボランティアが大会を支えている)
そのためには運営の形態からかえていかなければなりません。現在、ジャパンオープンは前田会長をはじめ、個々の努力によって、なんとか開催されている状態です。これを自治体や地元の経済団体など、公の組織による、しっかりとした基盤に支えられた大会にしていくことが急務とされているのです。
毎年、ジャパンオープンの前後には韓国で「テグオープン」が開催されます。現在、同大会のランクはジャパンオープンの一つ下のITF1。しかし、毎年のように大会関係者がジャパンオープンの視察に飯塚を訪れ、SSへの昇格を目指しています。ジャパンオープンが今のままの状態では、テグオープンと入れ替わる日もそう遠くはないかもしれません。そうなってからでは遅いのです。海外選手に人気を誇り、SSである今、地域が一体となって改革に乗り出してほしい。飯塚という小さな町だからこそできることであり、ひいては車いすテニスの認知・普及拡大につながるはずです。
私たちSTANDでは今大会、昨年に続いてNECと協働で、最終日に行なわれた男子シングルス決勝、男子ダブルス決勝の模様をインターネットライブ「モバチュウ」で配信。微量ながら昨年よりも多い約1万8000のアクセスを数えました。インターネットはまさに世界へ発信するツール。飯塚と世界の架け橋になれるよう、私たちも一層の努力をしていきます。
<伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>
新潟県出身。障害者スポーツをスポーツとして捉えるサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND副代表理事。1991年に車椅子陸上を観戦したことがきっかけとなり、障害者スポーツに携わるようになる。現在は国や地域、年齢、性別、障害、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション活動」を行なっている。その一環として障害者スポーツ事業を展開。コミュニティサイト「アスリート・ビレッジ」やインターネットライブ中継「モバチュウ」を運営している。2010年3月より障害者スポーツサイト「挑戦者たち」を開設。障害者スポーツのスポーツとしての魅力を伝えることを目指している。