羽生結弦とNovaとMIKIKOからの贈り物 ~Echoes of Life~

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『「Echoes of Life」羽生結弦が紡ぐ究極のストーリー』が1月26日、テレビ朝日で放送された。Echoes of Lifeとは、羽生が出演・総指揮をするアイスストーリーの第3弾である。昨年12月に埼玉公演(さいたま市内、さいたまスーパーアリーナ)、25年1月に広島公演(広島市内、広島グリーンアリーナ)が終了し、残すは2月に控える千葉公演(船橋市内、LaLa arena TOKYO-BAY)のみとなった。

 

 羽生演じるVGH-257 Novaは世界でひとりぼっちになってしまい「わたしとは?」「命とは?」などと言った問いを持つ。その答えを探す壮大で哲学的なストーリーとなっているのがEchoes of Lifeだ。

 

 先日、放送された番組内でインタビュアーを務めた松岡修造が、羽生にこう質問した。

「(ストーリーの中で)言葉として大きく出てくるのは“わたし”。“わたし”は羽生結弦ですか?」

 

 羽生はこう答えた。

「いや、“わたし”は“わたし”でしかない。ラベルが貼られる前の命の形、みたいなものですかね。僕らは修造さんのことを修造さんと呼んじゃうけど。修造さんは修造という名前をつけられる前は、何も無いじゃないですか? それが“わたし”なんですよね。

 名前って結局、付箋じゃないけどタグ付けみたいなものですよね。羽生結弦って誰? って言われたら、親がつけた名前、にたどり着く。オリンピック金メダリスト、とかで片付けることができる。だけど、全部取っ払った真ん中にある、心臓が持っているのか、脳みそが持っているのかわからない意識的なものは、何とも呼べないんですよね」

 

 「皆さんなりの哲学を」

 

 12月7日、埼玉公演初日後の囲み取材で聞いた羽生の言葉が忘れられない。

「皆さんなりの答えが出せたり、哲学ができたりするような公演にしたいと思い、このEchoes of Lifeを作りました」

 

 Echoes of Lifeに巡り合って以降、筆者の中には新たな問いが生まれた。

 

「豊か」とは、何か――。

 

 生活感丸だしの私的な具体例で、大変恐縮である。先日、家で使用している角ハンガーの枠組み(骨)が折れてしまった。「新しい物を買いに行かなきゃ……」とよぎったが、「いや、待てよ」と思った。折れた箇所をプラスチックの棒切れを使い、補強してみた。その角ハンガーは現役で頑張ってくれている。

 

 生き物(人間を含む動物、植物、穀物)も物体も、固有名詞がつく前は同じ「わたし」なのではないか。「わたし」であったならば、そこには「命」があるのだろう。根底に共通項があるならば、己(筆者)と角ハンガーの間に、心臓の有無といったことで隔たりを設けようとする行為は、筆者のエゴだったのかもしれない。

 

 物に囲まれ、少々破損したからといって廃棄し、新しい物を補充することが「豊か」なのか? 物理的には豊かだが、それは「傲り」と背中合わせで寂しく、おそろしい。

 

 それらを慈しみ、愛(め)で、大切にする心を有することが「豊か」なのだ、と筆者の人生上、定義付けた。

 

 Echoes of Lifeをきっかけに、感化されたり、気付きがあったとして、それが温もりに満ちたものであれば小さなことでも一歩、踏み出そう。その一歩の種は、羽生結弦とNovaと、演出振付家・MIKIKOからの贈り物に他ならない。

 

(文/大木雄貴)

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