アトレチコ・ソロカーバ(ブラジル)は少々変わったクラブである。
 ソロカーバは、サンパウロ州の南西、サンパウロ市からは西92キロの場所にある。人口約58万人、サンパウロ州で5番目に大きな街である。
 ブラジルではある程度の規模の街には必ず2つ以上のサッカークラブがある。ソロカーバには、1913年設立のサン・ベントというクラブがあった。アトレチコ・ソロカーバは91年に設立された(ブラジルの基準に照らし合わせれば)新しいクラブである。元々は女子バスケットボールのチームを元にして、街にあった2つのサッカークラブが合併して結成された。

(写真:現役時代はFKの名手として鳴らしたエドゥー 撮影:西山幸之)
 現在クラブの会長は韓国人のキム・フンテとなっている。ただ、この名前はそれほど重要ではない。実質上のオーナーは文鮮明――つまり、統一協会の指導者である。
 宗教団体が所有するクラブということもあり、監督として誘いを受けた時、エドゥーは少し迷った。だが、実際にクラブハウスに行ってみると、トレーニングセンター、ピッチなどインフラは整っていた。そして、ブラジルのクラブで珍しく、給料の未払いがないことも分かった。
 ブラジルのクラブでは、給料が遅れることは日常である。エドゥーは97年に引退した後、幾つかのクラブで監督を務めていた。選手時代を含めて、複数のクラブで給料未払いがあることにうんざりしていた。
 エドゥーはクラブがアジア遠征を予定していることを知った。文鮮明は北朝鮮と深い関係があった。
 南アフリカW杯出場を決めた北朝鮮代表の強化試合のために同国での試合が決まっていた。そもそもクラブが立派なグラウンドを作ったのも、ブラジルで北朝鮮代表が使用できるためだったという話も聞いた。
 滅多に入国する機会のない北朝鮮には興味があった。
 さらに遠征の詳細を聞くと、日本に滞在することになっていた。以前からエドゥーは指導者として日本に戻ることを望んでいた。実際にその種の打診をもらったこともあった。現役引退以来、日本を訪れていない。この遠征で、かつての友人と旧交を温めるには都合が良い。このアジア遠征に惹かれて、クラブとの契約を結んだと言っても過言ではなかった。

 日本で湘南ベルマーレと練習試合を行った後、アトレチコ・ソロカーバ一行は北京に向かった。北朝鮮行きの飛行機は北京からしか飛んでいないのだ。北京空港から北朝鮮行きの飛行機に乗る前に、携帯電話などの電子機器が集められた。北朝鮮には持ち込み禁止だという。
「バスに翼をつけたような飛行機だな」 
 エドゥーは北朝鮮行きの飛行機を見た時にそう呟いた。
 平壌に着いてみると、空港施設は小さく、民家のようだった。入国審査を通り過ぎ、荷物を調べられている時、係官が声を荒らげているのが聞こえた。近寄ってみると、携帯ゲーム機を手に選手になにやらまくし立てていた。
 選手が鞄の中に入れておいたゲーム機が見つかったのだ。
 チームについていた北朝鮮の通訳は、ブラジルの言語であるポルトガル語ではなくスペイン語を話した。チームでスペイン語が話せるのは、エドゥー1人だった。エドゥーがこれは携帯ゲームだと説明して、事なきを得た。
 結局、空港には2時間も足止めされることになった。そして、空港を出る前に、全員のパスポートが集められた。まるで犯罪者のようだった。バスに乗り、ホテルに向かうのかと思っていると、車が停められた。金日成の銅像の前だった。
「この像を訪れるのは、この国に来た人間の義務なのです」
 通訳の言葉に、エドゥーは心の中で舌打ちした。
(ぼくたちは、別の神を信じている。あなたたちと全く違う考えを持っている国から来ているんだ。長旅で疲れている客には、すぐにホテルで休ませようとは考えないんだろうか。どうしてこんな像を見に来なければならないんだ)

 ホテルに着いて荷物を置くと、エドゥーはホテルの扉を開けて、煙草を吸っていた。そこに子ども連れの女性が通った。
 子どもにとって見慣れない顔つきだったのだろう、じっとエドゥーを見た。視線を感じたエドゥーはブラジルでいつもやるように、笑顔で手を振った。
 すると、女性は急に顔を強ばらせた。子どもを抱きかかえると、まるで恐ろしいものを見たかのように駆けだした。
 あとから、現地の人々が不用意に外国人と関わると問題になることを知った。
 厄介な国に来てしまったという思いが、チーム全員に拡がっていた。
 一日中、“通訳”と称する監視がついていた。バスに乗って、練習グラウンドを往復するだけで自由はなかった。
 バスに小1時間乗せられて、自動車工場の見学に連れて行かれたこともあった。途中何度も、銃を持った兵士に止められ、検査を受けた。様々な場所に連れて行かれたが、興味を示すものはなかった。
「平壌の99パーセントの建物には、金日成の名前が刻まれているんだ」
 エドゥーは選手たちに冗談を言った。
 ホテルでもくつろげなかった。水と電気が使えるのは、朝6時から夜11時までだった。テレビをつけると、古いソビエトの共産党宣伝映画か、金正日に関するニュースのようなものが流れているだけだった。全く言葉は理解できず、見ていると暗い気分になるので、すぐにスイッチを切った。
 やることがないので、ロビーに集まって、選手1人1人がこれまで体験してきた面白い話を披露することになった。若い選手が多いため、すぐに話が尽きてしまい、エドゥーが1人で話をすることになった。
 ここに長期間滞在すれば、頭がおかしくなるだろうというのが、皆の一致した意見だった。
 そして、北朝鮮代表との試合の日が来た――。

(つづく)

田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクションライター。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、出版社に勤務。休職して、サンパウロを中心に南米十三ヶ国を踏破。復職後、文筆業に入り著書多数。現在、携帯サイト『二宮清純.com』にて「65億人のフットボール」を好評連載中(毎月5日更新)。2010年2月1日『W杯に群がる男達−巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)を刊行、さらに4月『辺境遊記』(絵・下田昌克、英治出版)を刊行。






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