第1176回 主役には主役の、脇役には脇役の「30年」

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 今年は日本人メジャーリーガーの実質的なパイオニアである野茂英雄が海を渡って30年の節目の年にあたる。

 

 MLBの95年シーズンは、前年8月に始まった選手会のストライキの影響で、開幕が大幅に遅れた。近鉄を任意引退し、MLB入りを目指す野茂は1月に渡米し、ドジャースとマイナー契約を結んだ。1年目の年俸は、わずか10万ドル(当時・約960万円)。デビュー以来、パ・リーグで4年連続最多勝(90~93年)に輝いた剛腕に対する評価が、それである。隔世の感を禁じ得ない。

 

「これでオレの出番が減るやろうな」。当時西武でユーティリティプレーヤーとして活躍していた笘篠誠治は、“野茂ドジャース入り”の報に接し、まずチーム内での自らの立場が気になったという。

 

 笘篠が、先行きに不安を抱いたのも無理はない。野茂キラー。それが常勝軍団で生き残るための縁(よすが)だったからだ。

 

 笘篠は振り返る。「選手層の分厚いチームの中で、どうすれば1軍に登録されるか、試合に出られるか。代走でも守備固めでも、出られるのなら何でもいい。とにかく使ってくれと…」

 

 90年代前半、西武は盤石の布陣を誇っていた。唯一、レギュラーが固定しなかったのがレフト。森博幸、安部理、吉竹春樹、羽生田忠克らに混じり、笘篠も虎視眈々と出場のチャンスを窺っていた。「野茂の先発時、森祇晶監督はレフトに左の吉竹さん、安部さん、森さんを起用した。だが、彼らもなかなか結果を出せない。それで右の僕に出番がきたんです」

 

 野茂を打てば道が開ける――。ここを先途とばかりに笘篠は野茂のフォーム研究に没頭した。俗な言い方をすればクセ盗みである。

 

 再び笘篠。「ただただ試合に出たい一心ですよ。ミーティング室にこもり、ずっと野茂のフォームを凝視していた。野茂は小さめのグラブを使っていた。振りかぶった時、右手の甲の部分がのぞく。注目したのは小指の第二関節。フォークの場合は、ここがピンと張るのですが、ストレートの時は山なりに見える。フォークは見逃せばボール。あとは真っすぐを待つだけ……」

 

 なぜ平均的な打者に過ぎない笘篠が、野茂の時だけ、別人のように打ちまくるのか。「先輩、クセわかっとるんちゃいますか?」。マスク越しに、そう語りかけてきたのが近鉄の光山英和だ。上宮高の1年後輩にあたる。「わかるわけないやろう」。プロ野球は狐と狸の化かし合いである。クセが盗まれたとわかれば、相手も次の手を打ってくる。笘篠は疑いの目を向ける光山の前で、わざとワンバンのフォークを空振りし、大きく首をひねった。

 

 笘篠は語る。「野茂のメジャーでの活躍は僕には誇らしかった。あんなすごい投手から、オレはヒットを打ったんやぞと。あれから30年ですか。あの頃、僕はもう毎日が必死でした」。主役には主役の、脇役には脇役の「30年」がある。

 

<この原稿は25年2月19日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>

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