第2の人生は日本とジョージアの架け橋に ~栃ノ心氏インタビュー~

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 遠い異国の地で相撲に人生を懸けたジョージア出身の栃ノ心さん。右膝の大けが、幕下への陥落、大関昇進――波乱に満ちた相撲人生を当HP編集長・二宮清純が迫る。

二宮清純: まずは子どものころのことからお聞きしたいのですが、幼少期から相撲に興味があったのでしょうか。

栃ノ心 いえ、全く興味はなかったです。6歳ごろから「チダオバ」というジョージアの伝統格闘技と柔道をやってきた。特に柔道はサンボの全国大会で優勝したこともある祖父が大好きで、祖父の勧めで始めました。それでいつかは、柔道でオリンピックに出たいと思っていました。

 

二宮 それがなぜ相撲の道に?

栃ノ心: 当時祖父と一緒に、山下泰裕さんや斉藤仁さんなど日本の強い選手の試合映像をよく見ていて、「いつかは日本に行きたいな」と思っていました。そんなある時、ジョージアで開催された柔道の大会に出場した際、ある方から「日本で開催される相撲のジュニア大会に行かないか」と誘われたのです。相撲についてはほとんど知識がなかったのですが、「日本に行けるなら何でもいいや」と思って、大会への出場を決めました。

 

二宮: それが2004年に大阪で開催された「世界ジュニア相撲選手権大会」だったわけですね。個人戦で3位入賞を果たしましたが、相撲は未経験だったんですよね?

栃ノ心: はい、稽古したこともありませんでした。その後、ジョージアに帰ってからも相撲の大会があって優勝したのですが、まわしを締めるのが恥ずかしくて、パンツの上から締めていました(笑)。

 

二宮: 格闘技の素養があったとはいえ、ぶっつけ本番で3位入賞はすごい。でも、柔道で五輪を目指していたわけで、角界入りには葛藤もあったのでは?

栃ノ心: 迷いましたね。ただ、当時活躍していたジョージア出身の黒海関と対面する機会があり、そこで励ましを受けて決心しました。相撲留学という形で来日し、日本大学相撲部の寮で3カ月ほどの研修を受け、2005年に18歳で春日野部屋に入門しました。

 

二宮: 慣れない日本で、しかも角界という独特の文化を持つ世界で生活するのは大変だったでしょう。

栃ノ心: 研修を受けたとはいえ、現実の相撲部屋での生活はきつかったですね。でも、お金もないし、携帯電話もないので、家族に泣き言すら言えなかった。

 

二宮: 言葉の壁も大きかったのでは?

栃ノ心: はい。周りが何を言っているのか分からなかったし、言いたいことも伝えられなくて、本当につらかった。ただ、ちゃんこ場で洗いものをしながら兄弟子たちが日本語を教えてくれたので、1年くらいであいさつや、ある程度の会話はできるようになりました。

 

二宮: 稽古はどうでしたか。

栃ノ心: 春日野部屋は伝統ある部屋なので、稽古は厳しかった。特にぶつかり稽古がキツかった。それからジョージアには胡坐をかいて座る習慣がなかったので、個人的に股割りが苦手でした。

 

二宮: 入門後は2006年3月場所で初土俵を踏み、08年1月場所で十両昇進を果たしました。ジョージア出身力士では、黒海関以来2人目の関取です。元力士と話をすると、よく「十両に昇進した時が一番うれしかった」と聞きます。栃ノ心さんは?

栃ノ心: 私も同じです。生活がガラリと変わりますから。個室ももらえるし、付け人も付くし、掃除やちゃんこ番もやらなくて済む。自分がやるべきことは、しっかりご飯を食べて、稽古を頑張ることだけ。何よりも、初めて給与がもらえた喜びは格別でした。

 

二宮: 幕下以下の力士は、場所ごとの手当だけで給与はもらえないですからね。

栃ノ心: だから少しでも早く十両になって、ジョージアにいる両親の生活をラクにしてあげたいと思っていました。初めて給与をもらった時のことは、よく覚えています。当時は協会に出向いて手渡しでもらうのですが、その封筒の厚みに「こんなにもらえるんだ」とうれしくなりました。

 

二宮: その後、08年5月場所で新入幕、10年7月場所で新三役と順調に番付を上げていきますが、13年7月場所5日目の德勝龍戦で右膝前十字靱帯断裂、右膝内側側副靱帯断裂のけがを負いました。

栃ノ心: 德勝龍関を持ち上げて吊り出した瞬間に、右膝が少し内側に入って外れたような感覚がありました。土俵から下りる時は足を地に着けられないほど痛かった。すぐに車で病院に連れて行ってもらったところ「完全に切れています」と言われました。

 

二宮: 相撲人生に関わるような大けがですから、ショックだったでしょうね。

栃ノ心: それはもう……。手術をすればしばらく相撲は取れないし、番付もめちゃくちゃ下がる。「これで引退しても仕方ないかな」と内心諦めていましたが、親方(春日野親方)がそれを見透かして、「絶対に手術をしなきゃいけない。引退なんて考えるなよ。お前はあと10年(相撲を)取れるんだからな」と。実際、そこから引退まで10年間相撲を取れたわけで、今振り返れば親方の言ったとおりになりました。

 

(詳しいインタビューは3月1日発売の『第三文明』2025年4月号をぜひご覧ください)

栃ノ心(とちのしん)プロフィール>

本名はレヴァン・ゴルガゼ。1987年10月13日、ジョージア・ムツヘタ出身。6歳ごろに柔道とチダオバを始めた。2004年、大阪で開かれた世界ジュニア相撲選手権大会出場のため初来日。相撲未経験ながら3位入賞を果たす。ジョージア出身の黒海(元小結)の活躍もあって、05年に春日野部屋に入門。06年3月場所で初土俵を踏む。08年1月場所で十両昇進。ジョージア出身力士では黒海以来2人目の関取となる。同年5月場所で新入幕。10年7月場所で新三役に昇進。右膝のけがの影響で一時幕下55枚目まで番付を落とすも、14年11月場所で再入幕を果たす。18年1月場所で初の幕内優勝、7月場所に大関昇進。その後、腰痛や左肩脱臼などのけがに悩まされ、23年5月場所6日目に現役引退を表明。24年2月、引退相撲を行った。現在は、在日ジョージア大使館の文化・スポーツアドバイザーとしてジョージアと日本の友好親善に努める傍ら、力士タレントとしても活躍中。通算成績は102場所で681勝615敗106休。殊勲賞2回、敢闘賞6回、技能賞3回。最高位は大関。身長192cm、体重189kg。

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月刊誌「第三文明」で2010年1月号より好評連載中の「対論×勝利学」は、 二宮清純が一流アスリートや指導者などを迎え、勝利への戦略や戦術について迫るものです。 現場の第一線で活躍する人々をゲストに招くこともあります。 当コーナーでは最新号の発売に先立ち、インタビューの中の“とっておきの話”をご紹介いたします。

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