「ベテランの域なのに、その感じがない」と言われるのが一番うれしい ~秋山翔吾インタビュー~

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 シーズン最多安打の日本記録を持ち、侍ジャパンやメジャーリーグでもプレーしてきた秋山翔吾。そのストイックな野球スタイルに、当HP編集長・二宮清純が迫る。

 

二宮清純: まずは5年ぶり7度目となる三井ゴールデン・グラブ賞の受賞、おめでとうございます。前年(2023年)秋に「右膝外側半月板部分切除」の手術を受けたこともあり、24年シーズンを心配する声もありましたが、見事な活躍でした。手術の翌年は成績が落ちるのが普通ですが、むしろ上がったことがすごい。

秋山翔吾 ありがとうございます。春季キャンプを2軍スタートにしたことで、調整の時間ができたことや精神的な余裕が生まれたことが功を奏したと思います。

 

二宮 広島東洋カープの藤井彰人ヘッドコーチは、「秋山は(練習を)やりすぎるから、こちらがブレーキをかけなければいけない」と話していました。首脳陣は、無理せずシーズンに入ってほしかったのでしょう。

秋山 藤井さんには口酸っぱく言われます(苦笑)。私は焦燥感に駆られてしまうタチで、頭では分かっていても、練習しないと不安のほうが勝ってしまうんです。

 

二宮: そういえばNHKの番組で、秋山選手が「野球をやる一番の原動力は“危機感”と“恐怖心”だ」と語っていたのが印象的でした。その思いは年々、強くなっているのか。改めて、その意味を教えてください。

秋山: 必要とされなくなることへの危機感・恐怖心が強いんでしょうね。「何であいつが試合に出ているんだ」と言われたくないんです。調子が悪くて打てない状態が続くと、打席に立った時の声援が減っていくのがはっきり分かります。ファンに期待されていないことが一番つらい。どうしたら変わらず応援してもらえるのか。それを常に考えてしまうんです。

 

二宮: 秋山選手の野球観が如実に表れています。根が真面目なんでしょうね。

秋山: これって真面目なんですかね(苦笑)。でも、そうした危機感や恐怖心がモチベーションにつながっていて、それが昨シーズンの結果にも結びついたと思います。

 

二宮: これまでの野球人生についてもお聞きしたいのですが、野球を始めたきっかけは高校球児だったお父さんの影響だそうですね。プロを目指したのも、お父さんの願いだったとか。

秋山: はい。父は、私が12歳の時にがんで亡くなったのですが、「プロを目指せ」とよく言われました。

 

二宮: ひとり親となったお母さんの苦労も大きかったのでは?

秋山: 私を含めて3人の子どもを育ててくれた。これはとても大変だったと思います。私が生まれた頃に辞めた教員に再び戻って、家族を支えてくれました。

 

二宮: その後、八戸大学(現・八戸学院大学)で活躍してスカウトの目に留まり、2010年にドラフト3位で埼玉西武ライオンズに指名され、入団します。プロ入りの夢がかない、お母さんもさぞうれしかったでしょうね。

秋山: 母は喜んでくれました。プロ入りは秋山家にとっての使命のようなものだと考えていたので、うれしいというより、ホッとしたというのが私の正直な気持ちでした。

 

二宮: 秋山選手は2015年から「ひとり親家庭の親子」を球場に招待されていますね。それは幼少期の体験が影響しているのでしょうか。

秋山: そうですね。うちもそうでしたけど、ひとり親家庭の親御さんは、なかなか家族で過ごすイベントを持ちにくいんです。それで少しでも、いい思い出になってくれればと。それに招待した自分が試合に出ていない、活躍できないでは恥ずかしい。自分にプレッシャーをかける意味で、今後も続けていきたいと思っています。

 

二宮: 88年組(1988年度生まれ)といえば、秋山選手をはじめ坂本勇人選手(読売ジャイアンツ)、前田健太投手(デトロイト・タイガース)など多くの有名選手がそろっています。その1人である田中将大投手の巨人入団が決まりましたね。彼がメジャーに行く前、西武時代に対戦されています。どんな印象を持っていますか。

秋山: 私がようやく試合に出られるようになった頃、田中投手はすでに東北楽天ゴールデンイーグルスの大エースでした。当時の私には、まだ「田中投手のどの能力が具体的にすごい」と評価できるほどの野球知識も経験もない。そこまでのレベルにいなかったので、「ただすごかった」としか言えないです。

 

二宮: それだけ力の差があったと。では自分の中で田中投手を冷静に評価できるようになったのはいつごろ?

秋山: 明確にいつということはないのですが、強いて言うなら2015年あたりからですかね。

 

二宮: シーズン216安打の日本記録を打ち立てた年ですね。確か、あの年は同僚の森友哉選手(現・オリックス・バファローズ)を参考に打撃フォームを改造したんですよね?

秋山: そうです。他にも足を使うためには、ホームランを狙う強いスイングより、野手の間に落としたり、抜いたりするバッティングをしなければいけないと思い、銀次さん(当時・楽天)や中村晃選手(福岡ソフトバンクホークス)など、体が小さくて活躍している左バッターの打ち方や粘り方も参考にしました。

 

二宮: ほう、それは具体的に言うと?

秋山: ファールにして球数を稼ぐということです。粘ってピッチャーを追い込み、最後にいいボールをはじき返す。そのためには、さまざまなボールに対応できる技術を持っていなければなりません。その中で、このピッチャーならここが打てそうだとか、こういうボールを待ったほうがいいとか、少しずつ選択の幅が広がっていきました。

 

二宮: 元阪神タイガースのマット・マートンさんが持っていた214本というシーズン歴代最多安打記録を破った215本目のヒットは覚えていますか。

秋山: 打った瞬間はサードゴロだと思いました。小谷野栄一さん(当時・オリックス)がジャッグルしてくれなかったら、多分アウトだったと思います(苦笑)。

 

(詳しいインタビューは2月1日発売の『第三文明』2025年3月号をぜひご覧ください)

秋山翔吾(あきやま・しょうご)プロフィール>

1988年4月16日、神奈川県横須賀市出身。右投左打。ポジションは外野手。高校球児だった父親の影響で野球を始め、小学1年から地元のソフトボールチームに所属。横浜創学館高校では1年時からレギュラーとなるも、甲子園出場はならず。八戸大学(現・八戸学院大学)進学後は1年時から活躍し、リーグ(北東北大学野球連盟)ベストナイン(4回)ほか多くのタイトルを獲得した。2010年にドラフト3位で埼玉西武ライオンズに入団。3年目からレギュラーに定着し、15年にはシーズン最多216安打の日本記録をマークした。17年に首位打者と2度目の最多安打を獲得。14年からは、パ・リーグ初となる5年連続フルイニング出場も果たした。19年オフにメジャーリーグのシンシナティ・レッズへ移籍。22年6月にFAとなり、日本球界復帰を決めて広島東洋カープに入団。3年目となる昨シーズンは、138試合に出場して打率.289、158安打を記録。5年ぶり7度目の三井ゴールデン・グラブ賞を獲得し、史上10人目の両リーグでの受賞者となった。日本代表(侍ジャパン)としても、15年WBSCプレミア12や17年WBCに出場。

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株式会社第三文明社

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月刊誌「第三文明」で2010年1月号より好評連載中の「対論×勝利学」は、 二宮清純が一流アスリートや指導者などを迎え、勝利への戦略や戦術について迫るものです。 現場の第一線で活躍する人々をゲストに招くこともあります。 当コーナーでは最新号の発売に先立ち、インタビューの中の“とっておきの話”をご紹介いたします。

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