第214回 レオ・セアラの2発と僕の“代表”就任
2月14日(金)に行なわれたガンバ大阪対セレッソ大阪のダービーマッチを皮切りに、2025年のJリーグがスタートしました。スタートダッシュに成功したクラブ、少々つまずいたクラブとありますが、3節を終えたばかり(2月28日時点)。まだまだこれからです。
順位表を見ると、湘南ベルマーレが3連勝。その後を、川崎フロンターレ、清水エスパルス、柏レイソル、サンフレッチェ広島が2勝1分けで追いかけています。広島はFWジャーメイン良、MF田中聡ら新加入選手がスタメンに名を連ねているものの、戦い方にそこまで大きな変更はないように見えます。それが要因で、昨年からの好調を維持しているのではないでしょうか。
昨年のリーグ覇者で2冠を達成したヴィッセル神戸は3分けで11位に位置しています。神戸としては誤算も多少あるでしょうが、他クラブが相当な警戒をしてくるのは当たり前。ここで神戸がやってはいけないこと、それは序盤で結果が出ないからと言って、戦い方の舵を切ってしまうことです。スタートダッシュを切れるに越したことはありません。ですが、長いリーグ戦のまだ、3節が終わっただけです。去年からの積み上げや、キャンプでやってきたことを疑い始めて、ごちゃごちゃと“いじり出す”のは時期尚早。静観してもいいと、僕は感じます。良い選手は揃っているのですから。
僕の古巣である鹿島アントラーズは2勝1敗の6位。開幕節、アウェイでの湘南戦は落としましたが、東京ヴェルディ、アルビレックス新潟とホームで連勝しました。特に第2節の東京V戦は4対0とスコア的にも大勝でしたが、大きな意味を持つ勝利でした。
C大阪から新加入したFWレオ・セアラが2得点。その活躍に引っ張られるようにFW鈴木優磨も2得点。リーグ屈指の破壊力を持つ2トップが揃って結果を出しました。移籍してすぐに得点を決められると本人もホッとしているはずです。それは3節でゴールを記録したMF小池龍太も同様です。しかし、そもそも「助っ人」として海外からやってきているレオ・セアラのプレッシャーは相当なものだと察します。
外国籍選手はすぐに結果を出せると、やはり落ち着くのでしょう。翌日ないし翌々日のトレーニングから様子が違いますもの(笑)。自信がみなぎっていますし、それに呼応するようにチームの士気もあがります。周囲の選手も認めてあげられる。加えて、生活圏のまちの人々の見る目も変わるものです。
旧聞に属する話で恐縮ですが、かつてジーコが来日した時のこと。サッカーが好きな人であれば、もちろんジーコは知っていて当然です。しかし、当時の地元には「ジーコって誰?」「アルシンドって誰?」と思う人々も少なくなった。それを93年の開幕節でジーコはハットトリック、アルシンドは持ち前のスピードで相手守備網をきりきり舞いにした。メディアに活躍が取り上げられ、サッカーを知らない町のおじちゃん、おばちゃんたちも彼らを認識し、応援するようになる。すると、助っ人たちも堂々とできるようになるのか、私生活でもプレーでも自信がある様子がプラスに働くのです。自分の現役生活で、そんな現象を何度か見てきたので、レオ・セアラの2ゴールは僕もひと安心しました。
さてさて、僕個人のことですが、年が明けてからシニアサッカークラブの代表者を務めることになりました。オーバー40(歳)、50、60のカテゴリー全体の代表です。「代表って言っても、やることはないですから」という誘い文句でした(笑)。いままでは自分がプレーしているオーバー50と60のチームだけに関わっていました。代表就任を機に、オーバー40の試合観戦に出向こうと考えています。差し入れでゼリー飲料を持って行き、自分より下の世代とコミュニケーションをはかれるのもまた、シニアサッカーの良いところですね。頑張ります!
●大野俊三(おおの・しゅんぞう)
<PROFILE> 元プロサッカー選手。1965年3月29日生まれ、千葉県船橋市出身。1983年に市立習志野高校を卒業後、住友金属工業に入社。1992年鹿島アントラーズ設立とともにプロ契約を結び、屈強のディフェンダーとして初期のアントラーズ黄金時代を支えた。京都パープルサンガに移籍したのち96年末に現役引退。その後の2年間を同クラブの指導スタッフ、普及スタッフとして過ごす。現在、鹿島ハイツスポーツプラザの総支配人としてソフト、ハード両面でのスポーツ拠点作りに励む傍ら、サッカー教室やTV解説等で多忙な日々を過ごしている。93年Jリーグベストイレブン、元日本代表。
*ZAGUEIRO(ザゲイロ)…ポルトガル語でディフェンダーの意。このコラムでは現役時代、センターバックとして最終ラインに強固な壁を作った大野氏が独自の視点でサッカー界の森羅万象について語ります。