「20年にひとりの逸材」と評された埼玉西武・菊池雄星のプロデビューはほろ苦いものとなった。
 6月12日、本拠地・西武ドームでの阪神戦。雄星は1回に1点を失うと、3回に4安打を集中され、わずか53球でマウンドを降りた。

「去年は野球をやっていなければ、どれだけ楽だったんだろうとか考えました。でも、自分には全て必要な経験だったのかなと思います」
 話している途中で不意に涙がこぼれ落ちた。
 確かに去年はいろいろなことがあり過ぎた。キャンプでの過熱報道、左肩を痛めての不振、長い2軍暮らし、前2軍打撃コーチ・デーブ大久保による暴行騒動……。こうした苦悩の記憶が走馬灯のように甦ってきたのだろう。
 そういえば一昨年の秋、メジャーリーグ行きを断念した時も雄星は大粒の涙を流した。涙を流すのは多感な証拠だ。
 しかし、とも思う。ピッチャーはマウンドで己の気持ちをコントロールしなければならない。
 かつて名投手と呼ばれたピッチャーは、そのほとんどがマウンド上ではポーカーフェイスだった。感情を押し殺すことで、バッターとの心理戦を制していたのである。
 もちろん、キャリアを重ねれば、いずれ雄星もそれができるようになる。今年なのか、来年なのか、それとも……。

 雄星とヒザを交えて話したのは昨年3月のことだ。これだけしっかりした18歳がいるのか――。それが私が最初に抱いた感想である。
 その一部を改めて、ここに紹介しよう。
「目的達成で大事なのは数字を決めることです。どこへ到達するのか、いつまでに到達するのかということを必ず決めておかなければならない。
 たとえば“100万円貯めたい”と言っている人がいる。でも、そう言っているだけの人は、いつまでたっても貯まらない。いつまでに貯めるのか、制限時間を決め、自らの収入を考えた上で逆算していかなければならない。
 イチローさんの場合、小学校6年の段階でどこの球団に入り、打率を何割打ち、お世話になった人にチケットをプレゼントすることまで書いている。
 こういう人だからこそ、あれだけ高い目標を叶えることができたんだと思うんです。」
「ただガムシャラにやるのではなく、自分を上から見るような感覚が必要だと思うんです。たとえばフォームを考える時も、自分の体を横から見るんじゃなく、天井から見た自分を脳裡に映し出す。そうすることで見えなかったものが見えてくる。
 これは私生活についても同じことが言えます。自分自身、調子に乗っているなとか、うぬぼれているなというのは、距離を置いて上から視線を注がないことには見えてこない。
 なぜ、こんなことを話すかというと、野球はメンタルによって左右されるスポーツだからです。自分をコントロールできなければ、試合をコントロールすることはできない」
 インタビューの受け応えとしては満点である。
 その一方で優等生が陥りやすい陥穽も気になった。言葉は悪いが、“頭でっかち”。多少、理不尽と思えるようなことでも、取りあえず実行してみなければ、自分にとって何がプラスで何がマイナスかわからないのではないか……。

 同様の不安は元ヤクルト監督の古田敦也も口にしていた。
「もう少し若い時はガムシャラにやらなくちゃ……」
 これには伏線がある。キャンプ地を訪れた古田は雄星のブルペンでピッチングを楽しみにしていた。
 ところが、いざ投げ始めると、すぐに投球を終えてしまったというのだ。
「若いピッチャーは、ストライクが入らないなら、悔しさもあってどんどん投げるものなのに……」
 肩を痛めていたこともあったのだろうが雄星は、あくまでも自分のやり方で調整を進めていたのだ。
 確かにピッチャーにはそれぐらいのエゴが必要である。ただ上からの命令に従えばいいというものではない。
 だが彼は、いくら「20年にひとりの逸材」でもプロでは実績ゼロのルーキーに過ぎないのだ。
 食わず嫌いは損をするぞ。まずは食ってから判断しろ――。
 古田はそう言いたかったに違いない。

 あれから1年、雄星はついに1軍デビューを果たしたが、そのくらいで満足してもらっては困る。
 次に泣く時は、もっとデカイ仕事をした後にして欲しい。彼はそれだけの器の持ち主である。

(この原稿は2011年7月8日号『週刊漫画ゴラク』に掲載されたものです)
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