メキシコでU-17日本代表が受けた「バルセロナのようだ」という賛辞が、ドイツで戦う女子日本代表にも向けられているという。震災に対する同情や、日本製品の緻密なイメージなども無関係ではないのだろうが、結果だけではなく、内容でも評価されるのは嬉しいことである。
 この流れが続いていけば、いずれは日本人が望むサッカーのスタイルというものが確立されてこよう。監督が交代するごとに目指すサッカーが変わるという時代に、いよいよ別れを告げることもできる。特に先週も書いたことだが、女子代表の戦いぶりは見事の一言に尽きる。1次リーグ最終戦ではイングランドの体力に押し切られ、グループ2位での決勝トーナメント進出となったが、観客の心をつかんだのは間違いなくなでしこたちだった。
 わたしが何より嬉しかったのは、彼女たちの戦いぶりによって、日本人選手の悪癖が、国民性、民族性によるものではなく、純粋に指導者の問題によるところが大きいのでは、と思えたことである。

“ドーハの悲劇”を取材していた時、韓国人の記者から「日本人はカニのようだ」と言われたことがある。タテへ仕掛ける動きの少なさを揶揄されたのだが、確かに、前からのプレッシャーを受けると、横パス、もしくはバックパスを選択する日本人選手が多いのは事実だった。
 残念ながら、この悪癖が収まる様子は一向になく、メキシコで戦ったU-17日本代表にも、同様の傾向は受け継がれてしまっていた。「刺す」という言葉で、ポゼッションにこだわりつつタテへの意識を持たせようとした吉武監督のチームであっても、である。
 ところが、同じ日本人であるはずのなでしこたちは、断じて「カニ」ではなかった。イングランド戦ではビルドアップの段階でミスが多く、なかなか前線までボールを運ぶことができなかったが、それでも、ボールを持ったら前を向く、相手の人数次第では勝負するという姿勢は、ほぼ全員に共通していた。

 そこで思い出したのが、U-17代表にとって最後の試合となったブラジル戦である。後半途中までほぼワンサイドだった試合の流れが変わったのは、中島、高木が投入されてからだった。タテへタテへと仕掛けようとする2人によって、日本の攻撃は突如として鋭さを帯びた。
 2人が、同じクラブで育った選手だというのは偶然なのか。そして、なでしこの選手の多くが、彼らと同じクラブで育ったというのも偶然なのか――。
 わたしの中で、久しぶりにヴェルディというクラブへの興味が高まりつつある。

<この原稿は11年7月7日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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