羽生結弦と野村萬斎が魅せたボレロでの“間の妙” ~notte stellata2025~

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 プロフィギュアスケーター・羽生結弦が座長を務める「羽生結弦 notte stellata 2025」初日公演が7日、宮城県利府町のセキスイハイムスーパーアリーナで行なわれた。スペシャル・ゲストとして狂言師・野村萬斎が出演した。公演は整氷及び休憩(30分)をはさんだ2部構成で行なわれた。1部の最後には萬斎と羽生らスケーターが「MANSAIボレロ×notte stellata」で共演した。2部の最初に羽生と萬斎が「SEIMEI」で再び舞台に立ち、会場の6256人を沸かせた。ここでは、ボレロに焦点を当てたい。

ⓒnotteltellata2025

「notte stellata」というアイスショーは、羽生が「被災された方々に希望を与えたい」という思いからスタートした。

 

 初回から座長を務める羽生は、1回目は内村航平、2回目は俳優の大地真央と共演を果たした。今回の共演相手は狂言師・野村萬斎だ。羽生は自身の代名詞の1つとなった「SEIMEI」を演じた際、映画「陰陽師」で安倍晴明役を務めた野村萬斎と2015年に対談したことがある。今回は満を持してのコラボレーションとなった。

 

 羽生と萬斎がこの日、最初に共演したのは1部の最後だった。楽曲は「MANSAIボレロ×notte stellata」だ。

 

 今回のプログラムでは、リンクの中央に、5m40㎝×5m40㎝の舞台が設置された。このサイズは狂言で使用されるものとほぼ同じだ。

 

 萬斎は10年前の対談で、羽生にこう話した。

「舞台に立っただけで何かを感じさせて、自分のペースに引き込まないといけないと思う。声を発しただけで、みんなが聞き耳を立てるような役者になりたいなと思います。その場とその時間、空気をまとうような……。(狂言の舞台の)僕らもこの長い廊下をね、歩いて登場する。演技が始まっていないか? というと始まっているんですけど。お客さんにとっては意味不明な時間。流れの中で、ずーっと気持ちよく出ていく。その場の空気をまとって体の中にいれるんだっていう解釈も成り立つと思うんです」

 

 リンクの中央に設置された舞台に向かう時間――。萬斎いわく「場を支配する」には、それだけのストロークが必要だったのだろう。

 

 フィギュアスケートの延長として観るべきか、狂言の延長として観るべきか。判断が難しいのは、羽生と萬斎の動きがリンクしていたからだし、敢えてテンポを遅らせることで“合わせる”ことをやってのけていたからだった。

 

 彼らが披露したボレロの描写に天気にまつわるものがあった。萬斎と羽生らスケーターたちが晴れの日、風の強い日、それよりも酷い嵐の日……。それらの表現は見事だった。

ⓒnotteltellata2025

 風や嵐を表現した時だった。氷の上の羽生と、舞台上の萬斎の動きはほぼ一致していたように見えたが、風や嵐の描写の時は、動きがズレていたようにも映った。と、いうか“敢えてズラしていた”のかもしれない。

 

 羽生が風上にいて、その後ろに萬斎がいたとしたら……。最初に羽生が揺れ動いて、少し遅れて萬斎が揺れ動いた方が、しっくりくる。

 

 そして最後には、萬斎が舞台から飛び降りるのだ。もちろん、マットが引かれた上にではあるが、あの勢いにはヒヤッとし、息を飲んだ。

 

 羽生は、初日公演後の囲み会見でこう述べた。

「今回、ボレロは他のスケーターがこちらに到着してから、振りが段々と出来上がってきました。萬斎さんに観ていただいたときにはまだ全然出来上がっていない状態でした。萬斎さんも“どうしたらいいかねぇ”という感じはなってしまってはいたんですが、この会場で本当に時間をかけて何回も何回も通しているうちに、萬斎さんの方から合わせてくださることもたくさんあったり、僕自身も萬斎さんとどのような所作で合わせにいったらいいのかとたくさん考えながら出来上がったボレロだったなと思います」

 

 萬斎は、“間の妙”について、こう話した。

「音の切れ目をこっち(私)はバシッと行きたいんだけど、スケートはすぐに演技に移行ではなくて、少し初速をつけるために準備動作が必要なので、その分の間が必要だ、というのはなるほど、と。普通に地上にいるとスッと動けるのが、氷の上だともうひと掻きしてから行く。タイムラグがあるのが新鮮でした」

 

 ふたりの話を裏返すと、“敢えてズラす”ことも可能なことだと読み取れた。

 

 10年前、萬斎は羽生に「西洋は音に全部振り付けをはめようとする。我々(能 狂言)は省略の文化」と述べていた。

 

 筆者は、今回の囲み会見で「ボレロに省略の文化を当てはめる際、意識したことは?」と質すと、萬斎は「ボレロはいろんな作り方をしていくうちにどんどん削ぎ落としていったのは事実ですね」と語り、続けた。

 

「元々には能 狂言には、三番叟というものがもとにあるんです。それを3.11を含めた祈りに変換していく作業の中で具体的に、実は子どもを抱き上げて助けを求めたり、だとか……。苦しい中にも花は咲くよ、とか。雨も降るよ、夏も来るよ、というイメージ。多少具体的にしながら抽象的な概念にしていき、最終的に人間の一生が垣間見られたら。死からもう一回、次の生に。それが最後のジャンプにつながるというような意味合いを込めているわけです。見ていると非常に抽象的に見えるかもしれませんけど、そういう思いで見ていただくと、何か特別に見えてくるものもあると思います」

 

 そして、こう結んだ。

「ぜひまたボレロも続けて、共演できるといいですね」

 

 3.11の際、グランディ21は遺体安置所として使用された。生と死をテーマにした「MANSAIボレロ×notte stellata」がこの場所で披露されたことには、大きな意味がある。生きている我々は死者の分の思いも込めて、明日に向かわなくてはならない――。そう背中を押してくれたアイスショーだった。

 

(文/大木雄貴、写真提供/ⓒnotteltellata2025)

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