大変極端な言い方をすれば、今季のリーグチャンピオンを決定づける打席であった。振り返っておこう。
 その前に、耳慣れない言い方をした。「リーグチャンピオン」。セかパかを言っていない。どちらかと問われれば、パ・リーグである。しかし、両リーグの現在の力の差を考えると、パ・リーグの1位が、すなわち日本でペナントレースを戦う両リーグ12球団のチャンピオンと言うにふさわしい。その意味で、今季の日本プロ野球全体のペナントレースにおける「リーグチャンピオン」を決定づける試合だった。
 7月31日、北海道日本ハム−福岡ソフトバンク戦。パ・リーグの2強となった両チームが0.5ゲーム差で迎えた3連戦の第3戦である。ここまでソフトバンクが2連勝。特に第2戦は、杉内俊哉vs.ダルビッシュ有という大エース決戦を杉内が制し、もしこの日、日本ハムが負ければ、一気にゲーム差は3.5に広がる。勝てば1.5ゲーム差で再び2強並走状態となる。だから極端に言えば、事実上パ・リーグの優勝の行方は、この試合にかかっていたのである。
 先発は日本ハム・武田勝とソフトバンク・摂津正。前日の大エース剛腕対決とうってかわって、究極の技巧派対決。その打席はいきなり、1回裏にやってきた。
 この回、ソフトバンクは2番・本多雄一が出塁するも、3番・松中信彦が倒れて、2死一塁。打席は4番・小久保裕紀である。武田勝vs.小久保は以下のように展開した。

? アウトロー ストレート ストライク
 2球目の前に、一塁牽制。
? アウトロー 外角のスライダーがボールゾーンから低めに入ってくる。ボール。
 本多スタート。盗塁成功(本多200盗塁達成!)
 結果的には、この盗塁がペナントの行方を左右することになる。
? 捕手(大野奨太)はインコースへ寄る。チェンジアップがやや中に入る。ファウル。
? インロー チェンジアップ ファウル
? 捕手、再びインコースへ寄る。インローへのチェンジアップがやや中に入る。小久保、これをとらえて、レフト前タイムリー。
 この1点で今季の優勝が決まった(くり返すが、あえて、極端な言い方をすれば、ですよ。もちろん、ペナントレースはこれから何が起きるかわからない)。
 武田勝vs.小久保は、この打席まで5打数無安打である。それは、両者とも当然知っていただろう。小久保は、チェンジアップに狙いを定めた。武田勝からすれば、それも承知の上で、チェンジアップで打ち取るはずが、やや甘く入ってしまった。この勝負のアヤが、全てであった。

(ちょっと長い注・武田勝の変化球は、私ごときには本当に見極めにくい。ここでは2球目をスライダー、3〜5球目をチェンジアップとしたが、逆である可能性が高い。たとえば「日刊スポーツ」8月1日付けでは、小久保は「若干甘く入ってきたスライダーを、左前へはじき返した」としている。左投手と右打者が対しているとき、捕手がインコース低めに構えるのだから、球種はスライダーと考えるのが普通だろう。正直にいうと、実際に、私にもそう見えた。だからおそらく、「日刊スポーツ」のほうが正しいのだろう。ただ、くり返しビデオを見てみると、2球目は125キロで、3〜5球目は117キロくらいである。球速からみれば、スライダーのほうが125キロではないか、という疑問がわく。私は、あえて素人の観察として、2球目は、外角のボールのコースから最後にストライクゾーンに入れようとしたスライダーと見、3〜5球目はチェンジアップをインローに沈めようとしたと見ることにする。ただし、2球目にアウトローにチェンジアップを落とし、そのあと3球続けてインローのスライダーで勝負したとみるのが、正当である。ただ、このことによって、以下の立論が変わるわけではない)

 この対戦で、あえて気になるとすれば、なぜ3球目から5球目まで、3球続けて捕手はインローを要求したのだろう、ということだ。実際、3球目はファウルになったものの甘く入っている。同じボールを続ければ、再びそうなる危険性はあったのではあるまいか。それは、予知できたのではないか。
 もちろん、配球に正解などない。純粋にラック(Luck、運)の問題である。ただ、あえて言えば、配球とは、そして捕手とは、ラックを支配できて一流ではないだろうか。残念ながら、大野という捕手にそれは感じられない。同じ日本ハムなら鶴岡慎也にときどき感じるのだが。
 試合は、摂津が好投して8回まで零封。9回はファルケンボーグが抑えて、2−0でソフトバンクの勝ち。つまり、思いきり結果論を言えば、1回にあの1点を取った時点で、ソフトバンクのリーグ制覇がほぼ決まったのである。

 確かにソフトバンクは強い。もちろんFAで内川聖一や細川亨を獲得するといった、資金力にものを言わせる巨人のようなチーム作りという一面もある。なにしろ、あのアレックス・カブレラが代打要員だったりするのだから( 5日現在、登録抹消中)。だが、忘れてはいけないのは、若手の育成にも成功していることだ。値千金の盗塁をした本多しかり、松田宣浩、長谷川勇也などが台頭してくるところが、巨人との違いだろう。
 ただし、今季の強さに関して言えば、勝因は摂津の先発転向の成功に尽きる。ストレート、カーブ、シンカーが持ち味の投手だが、特にすごいボールには見えない。せいぜい中継ぎ投手かと思っていたが、コントロールよく3つの球種をコーナーに決める投球が日本野球では先発に合っていたのだろう。その適性を見抜いた首脳陣の大英断というべきである。このあたりは、東野峻や山口鉄也を先発にしたり抑えにまわしたりして迷走する巨人とは大違い……というような余計なあてこすりは、慎んでおこう。

 捕手ということで、もう一人、触れておきたい選手がいる。高校野球である。
 全国高校野球選手権の東東京代表として甲子園に出場する帝京に、石川亮という(どこかで聞いたような名前の)1年生捕手がいる。1年生ながら、面白い捕手だ。
 まず、特徴的なのは構えである。背筋を伸ばして構える。あまりかがまない。その分、的は大きく見える。
 そして、インコースにしろアウトコースにしろ、さあここへ投げてこい、どんと来い、と主張しているような動きをする。投手のボールの力を引き出す捕球とでもいうのだろうか。

 帝京にはこれも1年生の時から有名になった伊藤拓郎というエースがいる。しかし、残念ながら、この3年間で伊藤君が大きく伸びたとは言い難い。むしろ1年生の時の方が魅力的だったくらいだ。
 その潜在能力はあるが、決して安定しないエースを甲子園にまで引っ張っていったのは、これまた大変極端なことを言えば、1年生捕手の存在である。
 石川には(おそらくは大野よりも)ラックを支配する才能がある。ついでに言えば、かつての“バンビ”坂本佳一を思い起こすようなかわいい顔立ちをしている。
 もちろん、彼が今のままですぐプロに通用するなどと言っているのではない。低く来い、ここへ来い、と要求してくれるのはいいが、おそらく、投手によっては、うるさすぎるという感想もあるだろう。ただ、伊藤は「強気にさせてくれるリードで投げやすい」と言っている。
 それから、いかにもストレートを要求していそうな構えで、意外にスライダーが来たりする。ちょっと、変化球が好きすぎるような気もするが、いずれにせよ、彼がどんな捕手に成長するか楽しみだ。そうですねぇ。あくまでも可能性ということだが、古田敦也みたいな捕手になってくれるといいな。

 たとえば、7月31日のソフトバンクの捕手は細川だった。かの野村克也さんも評価するリードの持ち主である。現時点で、石川君よりも数段レベルが上であるに決まっている。
 ただ、じゃあ、どっちの捕手に対して投げたいか、と聞かれると、もしかしたら石川君と組んだほうが楽しいかもな、と夢想させるところがある。
 ラックを支配する、ということを、あえて物理的な言辞でいいかえれば、投手のボールを打者の手元で、より伸びたり、キレをよくさせるような捕球、ということになるだろう。いや、もちろん、物理学的には、ボールが伸びないことは知っています。だからこそ、ラックなのであり、それこそが、捕手の領分なのである。

 べつに石川君だけにこだわっているのではない。ただ、日本球界に、もっと、捕手の領分でアウラを発するタイプの捕手が出てこないかな、と思うのである。
 捕手は配球がすべてなのではない。投手のボールから、見えない潜勢力を引き出す存在でもあるべきなのだ。

上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
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