ライバル対決こそは“プロ野球の華”である。日本のプロ野球は沢村栄治が投げ、景浦将が打つことによって始まった。
 プロ野球のリーグ戦は1936年にスタートした。初めてのチャンピオンシップは同年12月、洲崎球場を舞台にして行われ、2勝1敗で巨人に軍配が上がったものの、景浦は初戦で沢村から「東京湾に入る」とまで言われた大ホームランを放っている。
 2人がいかに互いを意識していたかについて、生前、松木謙治郎(元阪神監督)から、こんな話を聞いたことがある。
「沢村君がピッチャーの時は景浦君はいつも以上に真剣やった。戦績はほぼ互角だったかな。最初の頃、沢村君が投げると私らは手も足も出ないちゅうような状態やった。だけど、景浦君だけは堂々と立ち向かっていたな。このふたりの対決が大きな柱になって巨人―阪神戦が盛り上がり、ひいては伝統の対決と呼ばれるようになっていった。日本のプロ野球をつくったのは、このふたりだといっても過言はないでしょう」

 以降もプロ野球は次々にライバル対決を生み、それをテコにさらなる盛り上がりを見せる。村山実vs.長嶋茂雄、江夏豊vs.王貞治、江川卓vs.掛布雅之、野茂英雄vs.清原和博、松坂大輔vs.イチロー……。18.44メートルの距離をはさんでの果たし合いに国民の多くが一喜一憂した。
 ライバルとは、いわば“研ぎ石”のようなものである。教科書風にいえば「自らの技量を向上させるために必要不可欠な存在」だ。

 ところが、この男だけにはライバルが見当たらない。相撲風にいえば、がっぷり四つになれる相手がいないのだ。言うまでもなく北海道日本ハムのダルビッシュ有のことだ。
 7月30日、福岡ソフトバンクに負けた後のセリフがふるっていた。「もっとブンブン振ってきて欲しかった」。軽打に徹したソフトバンク打線を皮肉ったものだが、そうでもしなければ打ち崩せないのだ。ダルビッシュの苛立ちは、一方で結果を度外視して勝負にのめり込めるライバルの不在を意味していた。
 完全無欠にして発展途上。かつて、これほど奥行きの計り知れないピッチャーがいただろうか。「今季こそビンテージ」と思ってピッチングを凝視していたのだが、実はまだまだ序の口のようだ。熟成したら、いったいどんな味になるのだろう。

<この原稿は11年8月10日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
◎バックナンバーはこちらから