外で遊ぶ子供が減っているという報告がある。確かに昨今、相撲をとるどころかキャッチボールをする子供にも、とんとお目にかかれなくなった。「三丁目の夕日」の世界は遠のくばかりだ。
 そもそも「SPORT」の語源は気晴らしや楽しみ、遊びである。電車の中で携帯電話やゲームに没頭している子供を見ると、「もっと体を動かそうよ」とつい、お節介を焼きたくなる。
 夏の甲子園も終わったが、高校野球史上、最も速いボールを投げたと思われる投手は、私たちの世代においては江川卓である。江川は少年時代を静岡県の佐久間ダム近くの小さな集落で過ごした。
 遊び場は天竜川だった。向こう岸は崖になっており、そこを目がけて来る日も来る日も小石を投げた。対岸までは100メートルほどの距離があった。
 低学年の頃は20〜30メートルで失速し、小石は水面にポションと消えた。無理もない。大人が投げても川の真ん中あたりまでしか届かないのだ。

 それでも少年は来る日も来る日も小石を投げ続けた。やがて50メートルが70メートルになり、ある日、ついに「ガシャーン」という心地良い音を聞いた。小石が対岸の崖に届いたのだ。この遊びを始めて3年が経っていた。
 いかにして小石を対岸に届かせるか。少年は工夫を重ねた。小石に飛距離を持たせるには風に乗せるしかない。指のしなりを利用し、小石にスピンをかけた。「押すのではなく(指を)引くイメージ」。ホップすると言われた江川の快速球は、ここに端を発する。

 FKの名手、遠藤保仁(G大阪)の遊び場は生まれ故郷である桜島の山道だった。ただ通学するだけでは退屈だ。幸い活火山の桜島のふもとにはいろいろな形状の石ころが転がっていた。
 遠藤は語っていた。「かたちによって転がり方が違うんです。どうすれば真っすぐ蹴れるか。回転を与えたり、アウトにかけたり、あれこれ工夫しました。キックの微調整が下手ではないのは、子供の頃、たくさん石ころを蹴ってきたおかげかな、と感じる時があります」

 夏休みも、そろそろ終わり。真っ黒に日焼けした少年少女が年々、少なくなっている印象を受けるのは私だけか。やり残した宿題も大切だが、遊び残したことはないのか……。

<この原稿は11年8月24日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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